茨城の民話Webアーカイブ

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金色姫伝説

コンジキ ヒメ デンセツ

伝説

神秘的なおはなし

原文

 筑波の六所神社に行く時に手前の神郡にある「蚕影山(こかげやま)神社」という神社がある。この神社もかなり古くからある神社で名前の通り養蚕業のシンボル的な神社で、各地にある蚕影神社の中心になっているところです。ここに金色姫伝説が伝わっています。
 この伝説の元となっているのは、兵庫県養父郡の上垣守国という人物が、奥州(福島県)で買い求めた蚕種を研究し、養蚕を但馬、丹波、丹後地方にひろめました。そして彼は、享和2年(1802)に「養蚕秘録」(全3巻)を著し、養蚕法はヨーロッパにも広がりました。この本の中に、金色姫の伝説(蚕の草子)が紹介されています。

「昔、雄略天皇の時代(478年頃)に、天竺(インド)に旧仲国という国がありました。帝はリンエ大王といい、金色姫という娘がおりました。しかし姫の母親はなくなってしまい、リンエ大王は後添えをもらいました。後添えの皇后はきれいな金色姫を憎み、大王の留守に、金色姫を獣の多い山(獅子吼山)へ捨てたが、姫は獅子に背おわれ宮中に帰ってきた。また鷲や鷹のいる山(鷹群山)へ捨てたが鷹狩りに来た兵によってまた宮中に帰ってきました。今度は海眼山という草木のない島へ流したりしたのですが、ことごとく失敗してしまいました。そしてとうとう4度目には金色姫を庭に生き埋めにしたのです。ある日、庭から光がさして城を照らしているのに、大王が気づき、庭を掘ると、やつれた金色姫がいました。大王は継母の仕業と知り、姫の行く末を嘆き、泣く泣く桑の木で造ったうつぼ舟に乗せ、海上はるかに、舟を流し、逃がしました。舟は荒波にもまれ、風に吹かれ、流れ流れて、茨城県の豊浦に漂着しました。そこで権太夫という漁師に助けられ、その漁師夫婦により、大切に看護と世話をされていましたが、姫は病を得て亡くなってしまったのです。夫婦は不憫な姫をしのんで、清らかな唐びつを創り、姫のなきがらを納めました。それからしばらくしたある夜、夢の中に姫が現れ、「私に食物をください。後で恩返しをします。」と告げたのです。
 驚いた夫婦が唐びつを開けると、姫のなきがらは無く、たくさんの小さな虫になっていました。丸木舟が桑の木であったので、桑の葉を採って虫に与えると、虫は喜んで食べ、成長しました。ある時、この虫たちは桑を食べず、皆一せいに頭を上げ、ワナワナとしていました。
 権太夫夫妻が心配していると、その夜、また夢に姫が現れ、「心配しないでください。天竺にいるとき、継母に4たび苦しめられたので、いま休んでいるのです。」と告げました。4度目の「庭の休み」のあと、マユを造りました。マユが出来ると、筑波のほんどう仙人が現れ、マユから糸を取ることを教えてくれました。
 ここから、日本で養蚕が始まったといわれています。権太夫は、この養蚕業を営んで栄え、豊浦の船つき河岸に、新しく御殿を建て、姫の御魂を中心に、左右に富士、筑波の神をまつって、蚕影山大権現と称号しました。これが蚕影山神社のはじめと言われています。
 さて、金色姫の話は5世紀後半の時代の話とされていますが、インド(天竺)からいろいろな文化がこの地にもたらされたことを現わしているのでしょうか。
 現在日本最古の文学と言われる竹取物語(かぐや姫)のお話ができたとされるのは9世紀~10世紀などと考えられていますが、こちらの話も中国やインドなどに関係しており、月に住むお姫様と言う設定はこの金色姫の話の上を行っています。でも日本国以外の国のお姫様ということでは共通するものがあります。
 大友狭手彦(おおともの さてひこ)が宣化天皇2年(537年?)10月、新羅が任那を侵攻したため、朝鮮に派遣されて任那を鎮めて百済を救い、欽明天皇23年(562年?)8月、大将軍として兵数万を率いて高句麗を討伐、多数の珍宝を獲て帰還したとされており、このときには財宝だけでなく、現地より多くの人々がこの国に逃れてきています、その中に女性も多く含まれており、青い目の女性もいたかもしれないです。
 そのほか、『肥後国風土記』松浦郡条、『万葉集』巻5には、狭手彦と弁才天のモデルとなったとされる弟日姫子(松浦佐用姫)との悲話が載せられています。当時がどのような時代であったかを少し考えてみるのも良いかもしれません。
 さて、茨城県にはこの他に豊浦と名の付く2か所の神社がともにこの金色姫伝説の地であるとしています。これらは常陸国の三蚕神社と呼ばれています。
(1)蚕影山(こかげさん)神社:つくば市神郡1998(日本一社)
(2)蚕養(こがい)神社:日立市川尻町2377-1(日本最初)
(3)蚕霊(さんれい)神社:神栖市日川720(日本養蚕事始)
の三社です。

 

市町村 つくば市
原文著者 木村 進
原文著者(ヨミ) キムラ ススム
生年 1948年
原文著者備考 昭和23年 新潟県小千谷市に生まれる
現在 茨城県石岡市在 (株)アルテック 代表
昭和49年 慶応大学工学部大学院(修士)卒
大手電機メーカで設計などに従事、定年退職後ふるさとに眠る埋もれた歴史などを掘り起こし、ブログや書籍で活動をしている。
著書に「ちいきに眠る埋もれた歴史シリーズ」がある。「ふるさと風の会」会員
原文著者 LaLa mosura
原文著者(ヨミ) ララ モスラ
原文著者備考 イラスト 現在 茨城県石岡市 在 中学生 小学6年生の11月からイラストを描き始め、絵はすべてのモノに命があり、土や水にも顔があると考えて描いている。想像の世界のキャラクターたちがカラフルに描かれた独特のイラストが評判を呼び、地元を中心に個展を数回開いている。
媒体 zine
収録資料名 茨城のちょっと面白い昔話
収録資料名(ヨミ) イバラキ ノ チョット オモシロイ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 ふるさと風の文庫
民話ページ P45 〜 P49
収録資料出版社 ふるさと”風”の会
収録資料出版年月日 2016.12.1
言語 日本語
方言 標準語
備考 ¥650
収録資料シリーズ名および収録資料出版社は、標題紙による。
奥付には「風の文庫」「地域に眠る埋もれた歴史シリーズ(別冊2)」とある。

このおはなしが伝えられた地域