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手を継いだ河童の恩返し

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伝説

殿様や武将が登場するおはなし|妖怪が登場するおはなし

原文

(その一)手奪橋(てうばいはし・てばいはし)
 行方市の常陸国風土記に出てくる現原(あらはら)の丘の近くの梶無川に架かる橋に「手奪橋」という小さな橋があります。ふり仮名で「てうばいはし」と振られています。橋の欄干の四隅にはそれぞれ河童の像が置かれています。
 この「手奪橋」は玉造の役場から梶無川にそって走る県道116号線が二度目に梶無川を渡る橋です。この先は倉数地区で陣屋という信号があり、塩の神社「潮宮(いたみや)神社」があります。とても不思議な空間です。その橋の脇にこの端の名前の由来(玉造の民話)が書かれています。

河童の恩返し
 昔むかし、現原の殿様が領地の見まわりを終えて、梶無川の橋を渡っていると子どもくらいの怪物が、馬のしっぽをつかんで川にひっぱり込もうとしているではありませんか。殿様は「村人を困らせている河童だな。こらしめてやろう」と刀で斬りつけました。河童は悲鳴を上げて川の中に姿を消しました。
 お屋敷に戻ると馬のしっぽには河童の手がぶら下がったままでした。その晩のこと、河童がしょんぼりとやって来て、「私は梶無川の河童です。腕がないと泳げないし魚もとれません。どうぞ腕を返してください。」と頼むのです。
 かわいそうに思った殿様が返してやりますと、「私どもには妙薬があり腕をつなぐくらいわけありません」と言って、薬を傷口にぬり、ひょいと腕をくっつけました。殿様が驚いていると「お礼にこの薬の作り方を教えます。それにこれから毎日魚を差し上げます。もし魚が届かぬ時は、私が死んだと思ってください」と言って帰っていきました。
 次の日から毎日、お屋敷の前の梅の木に、魚が2匹ずつぶら下げてあるようになりました。
 ある朝、いつもの梅の枝に魚がなく、殿様は河童のことが心配で川を探させたところ、かなり上流の与沢で腕に傷跡のある年老いた河童のしかばねが見つかりました。恩を忘れなかった河童に感動した殿様は祠を建ててその霊をまつりました。
 芹沢と捻木あたりを梶無川と言います。河童から教わった傷薬は、芹沢家に代々伝わり、多くの人たちが救われました。諸国の大名から届いたお礼の書状が、今でも芹沢家に残されています。
 さて、この民話に登場する殿様は、新撰組で活躍した芹沢鴨の血筋で、芹沢家の先祖です。橋の名前は「てうばいばし」となっていますが、この川はむかし「てばいがわ」とも呼ばれていた時もあると聞いていますので、言葉の発音から話が作られたかもしれません。また、常陸国風土記ではヤマトタケルがこの少し上流の現原の丘から、この川を小舟に乗って上るとき船の棹梶が折れてしまった」と書かれているために梶無川というようになったと言われていますが、このてばいはしがいつごろからつけられた名前かはよくわかりません。

(その二)手接神社(小美玉市)
 さて、このみんわにある切られた手を接いだと言う河童が死んでいたという与沢(小美玉市与沢)に「手接神社(てつぎじんじゃ)」があります。場所は茨城空港の近くです。このすぐ近くに親鸞が鹿島神宮に行く途中で通っていたと言われた遺跡(喜八阿弥陀、経塚など)が残されています。通り沿いの神社入り口には
「日本に一社 かっぱの神様 手継神社 手の病い、お子さんの成長、進学、就職、技倆上達 ご家庭の健康祈願は七郎かっぱを奉る手継大明神にご参詣を!!」
と書かれています。
 この神社は、芹沢家の屋敷近くにあった神社をここに移したものと推測されます。神社には、おみくじなどと同じように「きりすね」というもめんの糸をよった物が置かれています。これを痛い手に巻いておくと、この糸が切れる頃には治ると言われているものです。手の痛い人が頂いて帰るのだと言います。
 この芹沢家の元をたどるとつくば市北条の多気山にあった常陸大掾氏(多気大掾)から別れたもので、代々医者の家系として続いており、現在は石岡で開業しています。そして、河童にもらったともいわれるこの家伝の秘薬(膏薬)「筋渡し」は今も使われているとの話もあります。

(その三)手接神社(芹沢家生家跡)
 行方市では「新選組を創った男」とのキャッチフレーズで新選組局長・芹澤鴨を売り出しています。そしてこの芹澤鴨の生家跡があると言う場所があります。
 芹沢鴨は長い間、この芹沢村の豪族であった芹沢外記(貞幹)の三男であり、文政9年(一八二六)の生まれで、幼名は玄太であるとされてきました。しかし、最近になってこれが間違いではないかと言われるようになりました。
 芹沢外記の四男で文政7年(一八二四)もしくは文政9年(一八二六)生れで天狗党に加わり、元治元年(一八六四)8月16日、那珂湊で戦死した長谷川庄七という人物がいることが判明したため計算が合わなくなったのです。
 また玄太は記録では兵太が正しく、これが芹沢外記の三男であるが、芹澤家の当主であったことがあるため、芹沢鴨とは別人物だと考えられるようになったそうです。また、芹澤鴨は、松井村(現茨城県北茨城市中郷松井)の神官下村祐の婿養子となり、下村嗣次を称したとされるため、この芹沢家の三男とは別人物とみられるようです。しかし、下村嗣次が芹澤鴨と名前を変えた経緯はわかっていません。
 しかし、現在も、芹沢家の敷地脇に「芹沢鴨の生家」と書かれた看板が掲げられています。ここに、手継明神の石柱がありました。ここにあった手継明神が与沢に移って手継神社となったようです。

 

市町村 行方市
原文著者 木村 進
原文著者(ヨミ) キムラ ススム
生年 1948年
原文著者備考 昭和23年 新潟県小千谷市に生まれる
現在 茨城県石岡市在 (株)アルテック 代表
昭和49年 慶応大学工学部大学院(修士)卒
大手電機メーカで設計などに従事、定年退職後ふるさとに眠る埋もれた歴史などを掘り起こし、ブログや書籍で活動をしている。
著書に「ちいきに眠る埋もれた歴史シリーズ」がある。「ふるさと風の会」会員
原文著者 LaLa mosura
原文著者(ヨミ) ララ モスラ
原文著者備考 イラスト 現在 茨城県石岡市 在 中学生 小学6年生の11月からイラストを描き始め、絵はすべてのモノに命があり、土や水にも顔があると考えて描いている。想像の世界のキャラクターたちがカラフルに描かれた独特のイラストが評判を呼び、地元を中心に個展を数回開いている。
媒体 zine
収録資料名 茨城のちょっと面白い昔話
収録資料名(ヨミ) イバラキ ノ チョット オモシロイ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 ふるさと風の文庫
民話ページ P30 〜 P35
収録資料出版社 ふるさと”風”の会
収録資料出版年月日 2016.12.1
言語 日本語
方言 標準語
備考 ¥650
収録資料シリーズ名および収録資料出版社は、標題紙による。
奥付には「風の文庫」「地域に眠る埋もれた歴史シリーズ(別冊2)」とある。

このおはなしが伝えられた地域