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大杉神社と常陸坊海尊

オオスギ ジンジャ ト ヒタチボウ カイソン

伝説

神様や仏様が登場するおはなし|お坊さん、神主さん、小僧が登場するおはなし|殿様や武将が登場するおはなし

原文

 稲敷市阿波(あば)に全国の大杉神社の総本山である「(阿波)大杉神社」があります。この神社の入り口には大きな鼻高天狗と烏天狗の像が置かれています。またこの神社の隣りには安穏寺(天台宗)という寺が建っています。
 この安穏寺は大杉神社の守護するために延暦24年(805年)開基され、明治になるまで安穏寺が大杉神社を管理していたといいます。この安穏寺の入口階段左側に「安穏寺」の石柱があり、右側には「常陸坊海存」の石柱が建てられています。阿波(あば)大杉神社の派手さに比べると安穏寺は華やかさはなくひっそりとしています。この大杉神社、安穏寺に伝わる話を神社のホームページなどから引用すると
「文治年間にはその容貌が巨体、紫髭、碧眼、鼻高であった常陸坊海存(海尊)が大杉大明神の御神徳によって、数々の奇跡を示したことから、海存は大杉大明神の眷属で、天狗であるとの信仰へと発展いたしました。当初は烏天狗を御眷属としておりましたが、後に陰陽一対として鼻高天狗、烏天狗の両天狗を御眷属とすることとなりました。現在ではいかなる願いも叶えて下さったと伝えられる海存の奇跡に由来して、大杉神社を日本で唯一の「夢むすび大明神」と称し、鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれるようになりました。」と書かれています。
 これを少し紐解いてみましょう。

(その一)義経との伝説
 常陸坊海存というのは、武蔵坊弁慶と同様に源義経の郎党と言われる謎に満ちた人物で、数々の伝説が伝わっている人物です。義経が奥羽平泉で追手と僅かな兵で戦っていた時、仲間の十一人の者が戦に加わらず近くの山寺に行っていたと伝わっています。この中の一人がこの常陸坊海存であり、名前が記録されているただ一人の人物です。他の者は名前も伝わっていませんが、海存一人がどういう訳か後世に名前が伝わり400年も生きていたという伝説まで生まれているのです。義経の逃避行でも案内役をしていますが詳細が全く不明で、肝心な時には何時もどこかに身を隠してしまうという謎めいた人物と言われています。

(その二)残夢(ざんむ)の伝説
 永禄年間(室町時代末期・戦国時代)に関東に来て、常陸の福泉寺および会津の実相寺に住した禅僧に残夢(ざんむ)という人物がいました。毎日食事をしないでも飢えることも無く、貧しい人には自分の服を脱いで渡すなどのほか数々の奇行でしられているが、いつも源平合戦の話をまるでそこにいた人のように鮮明に話していた。このため、この残夢は海存ではないかと言われるようになりました。海存は、平泉の義経追討合戦からは姿をくらまし、その後の足取りはわかっていません。形相はまるで天狗のようだというのですから、四百年近くも長生きしてもおかしくないと当時思われていたのかもしれません。

(その三)足尾山と常陸坊海存
 さて、大杉神社の常陸坊海存が天狗と考えられたのはその風貌からと言われていますが、筑波山に連なる足尾山に伝わる海存の話を少し紹介します。
 足尾山は常陸風土記や万葉集などで「葦穂山」「安之保山」「小初瀬山(おはつせやま)」と記されています。さて、万葉集が詠まれた頃の「新治郡」は常陸国の西部にあって、現在の桜川市、筑西市などの領域です。この新治郡衙跡が筑西市古郡(ふるごおり)地内(協和台地)に発見され、昭和43年に国の史跡として登録されています。この新治郡から常陸国国府(石岡)にいくにはこの足尾山(小初瀬山)(安之保山)を越えて(実際は上曽峠を越えて)行ったものと考えられます。自然にいろいろな伝説が生まれるべきものがあったのでしょう。
 足尾山の山頂近くに足尾神社(石岡市小屋字足尾山)の拝殿があり、山頂に本殿の祠があります。足の病にご利益がある神社として全国に信仰を深めていきますが、常陸風土記に出てくる「油置売命(あぶらおきめのみこと)」がこの山の石城(いわき)に眠っていたと伝えられます。油置売命というのは眠れる森の女神なのか?誰が歌った歌なのか?不思議です。
「言痛(こちた)けば をはつせ山の 石城(いわき)にも 率(い)て篭もらなむ な恋ひそ我妹(わぎも)」
 何故、このような歌を常陸風土記は紹介しているのでしょうか?奥に隠されたものがありそうです。
 山の峠を越えて行くのにはいろいろなことがあったのでしょう。女神であったのか山姥であったのか、それとも若い男が姿を消してしまったのか?もちろんまだ大和朝廷に組みしない人々が山の中に住んでいたのかもしれません。筑波山の男体、女体の山の隣りでそっぽを向いたように(葦穂のように)反り返っていた足尾山は数々の歌に詠まれました。
 醍醐天皇が足の病が治る霊験あらたかな神社として日本の国家を建てた柱の神「国常立尊」(くにとこたちのみこと)、面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)を祀り、信仰を集めるためにこの修験者のいる山を選んだのかもしれません。
 さて、この山と「常陸坊海存」との関係ですが、文治年間(一一八五~一一八九)に常陸坊海尊(存)がこの足尾山に籠り、杉室に修行したという伝説が残されています。
 現在も杉室に神窟があり、小さな祠が祀られています。この海存をこの山の修験者として「足尾権現」の流布・宣伝することで、北陸方面へ足尾信仰を広め天狗伝説も伝わっていったものと考えられるかもしれません。
 阿波大杉神社は別名「杉室神社」とも言われているそうです。

 

市町村 稲敷市
原文著者 木村 進
原文著者(ヨミ) キムラ ススム
生年 1948年
原文著者備考 昭和23年 新潟県小千谷市に生まれる
現在 茨城県石岡市在 (株)アルテック 代表
昭和49年 慶応大学工学部大学院(修士)卒
大手電機メーカで設計などに従事、定年退職後ふるさとに眠る埋もれた歴史などを掘り起こし、ブログや書籍で活動をしている。
著書に「ちいきに眠る埋もれた歴史シリーズ」がある。「ふるさと風の会」会員
原文著者 LaLa mosura
原文著者(ヨミ) ララ モスラ
原文著者備考 イラスト 現在 茨城県石岡市 在 中学生 小学6年生の11月からイラストを描き始め、絵はすべてのモノに命があり、土や水にも顔があると考えて描いている。想像の世界のキャラクターたちがカラフルに描かれた独特のイラストが評判を呼び、地元を中心に個展を数回開いている。
媒体 zine
収録資料名 茨城のちょっと面白い昔話
収録資料名(ヨミ) イバラキ ノ チョット オモシロイ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 ふるさと風の文庫
民話ページ P24 〜 P29
収録資料出版社 ふるさと”風”の会
収録資料出版年月日 2016.12.1
言語 日本語
方言 標準語
備考 ¥650
収録資料シリーズ名および収録資料出版社は、標題紙による。
奥付には「風の文庫」「地域に眠る埋もれた歴史シリーズ(別冊2)」とある。

このおはなしが伝えられた地域