茨城の民話Webアーカイブ

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縄とき地蔵

伝説

神様や仏様が登場するおはなし

原文

 江戸時代、霞ヶ浦の高浜入りの入り口は湖の両岸の地域が水戸藩の領地であった。北側が旧玉里地区で、南側が現在の石岡市の八木地区になる。霞ヶ浦には当時四十八津といわれるたくさんの湊が存在し、漁獲量などが枯渇しないように毎年協定を結び、乱獲を防いでいた。しかし、この高浜入りは湖の先端部分であり、両岸までの距離も近いため水戸藩ではこれを川とみなして「御留川(おとめがわ)」制度を申請し幕府より許可をもらってこの領地に挟まれた区域の漁業を水戸藩固有の漁場とした。
 さて、御留川制度の評価は分かれるが、この地域でもう一つ水戸藩が支配していたことを物語る話が残されている。水戸藩では、藩の制度に従わない者たちを政治犯として捕らえ刑罰に処したが,その政治犯たちの追放先として宍倉島があった。この宍倉島は現在の八木地区で、今では陸でつながっているが当時は陸から少し離れた小さな島であった。罪人たちは、水戸から唐丸籠に乗せられ旧玉里村の大井戸で籠から舟に乗せられ、逃げられないように手を縄で縛られていた。そして霞ヶ浦(御留川)を渡って対岸の宍倉島に送られ、島の高台のお宮へ登る途中にあった地蔵堂の前まで連れてこられ、この地蔵堂の前で縄を解かれたのである。政治犯であったのであまり屈強のものはいなかったため、この陸から少ししか離れていない島でも脱走する者もいなかったようである。罪人たちは島の中にある作業場で、刑期の終わるまで仕事をしたという。そのため、この地蔵堂は「縄とき地蔵」と呼ばれるようになり、その後、いつの間にか地元の人たちの安産を願う「子授け地蔵」として慕われたのである。
 現在は場所を八木地区の辻に移され、地元の人に慕われている。

 

市町村 石岡市
原文著者 木村 進
原文著者(ヨミ) キムラ ススム
生年 1948年
原文著者備考 昭和23年 新潟県小千谷市に生まれる
現在 茨城県石岡市在 (株)アルテック 代表
昭和49年 慶応大学工学部大学院(修士)卒
大手電機メーカで設計などに従事、定年退職後ふるさとに眠る埋もれた歴史などを掘り起こし、ブログや書籍で活動をしている。
著書に「ちいきに眠る埋もれた歴史シリーズ」がある。「ふるさと風の会」会員
原文著者 LaLa mosura
原文著者(ヨミ) ララ モスラ
原文著者備考 イラスト 現在 茨城県石岡市 在 中学生 小学6年生の11月からイラストを描き始め、絵はすべてのモノに命があり、土や水にも顔があると考えて描いている。想像の世界のキャラクターたちがカラフルに描かれた独特のイラストが評判を呼び、地元を中心に個展を数回開いている。
媒体 zine
収録資料名 石岡地方のふるさと昔話
収録資料名(ヨミ) イシオカ チホウ ノ フルサト ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 ふるさと風の文庫
民話ページ P83 〜 P84
収録資料出版社 ふるさと”風”の会
収録資料出版年月日 2016.9.1
言語 日本語
方言 標準語
備考 ¥750
収録資料シリーズ名および収録資料出版社は、標題紙による。
奥付には「風の文庫」「地域に眠る埋もれた歴史シリーズ(別冊1)」とある。

このおはなしが伝えられた地域