茨城の民話Webアーカイブ

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国分尼寺の黄金伝説

コクブン ニジ ノ オウゴン デンセツ

伝説

お坊さん、神主さん、小僧が登場するおはなし|殿様や武将が登場するおはなし

原文

常陸国分尼寺は国分寺と同じころ(750年頃)に建てられましたが、10人の尼僧を置いていたといいます。そして、そして今から千年以上前の934年に常陸国府を平将門が襲います。国衙の軍は3000人もいたのですが、三方から攻め入った将門の1000人程の軍にあっという間に打ち負かされてしまいました。国府の長官は降伏し、一万五千程あった高価な絹布は全て奪われ、略奪、放火され人々は地面に膝まづき泥にまみれたといいます。その時に国分寺も、この国分尼寺も焼かれてしまったのです。
 尼寺の敷地には窪地となった池があったそうです。この攻撃の時に多くの寺や民家に火がつけられ、国分寺、国分尼寺も兵火で七堂伽藍も焼失してしまいました。国分尼寺では、その火の回りがあまりにも早く、中の大切な宝物などを全て運び出すことは出来ない状況でした。尼寺ですから力の強い者もおりません。
まず大切な仏像や金と銀で作られた調度品や装飾品などを炎の中からやっと運び出しましたが、これを遠くまで運ぶことなど到底できません。尼僧たちはその池に大切な宝物をみな投げ込んだのです。池の名前は「ごきあらい」といいました。ごきとは、「御器」と書き、 「ごき洗い」は、食器などを洗った池があったためにそうよばれていたものでした。
 しかし、兵火の中で尼僧や寺院の関係者は全員亡くなり、ごき洗いの池も焼け落ちた瓦や木材で埋まってしまいました。そのためごき洗いの地中には、黄金が眠っているのだと伝えられています。
 江戸時代、このごき洗いを掘ろうとした百姓は、崩れ落ちた土の下敷きになって死んでしまいました。罰を恐れた人々はそれ以来誰も掘ろうとはしなかったといわれています。
 朝日さす 夕日かがやくごき洗い 黄金千枚 仏千体
 尼寺ヶ原 石見に来れば 道もなし 足にまかせて 尋ねこそすれ
尼寺ヶ原にひそかに言い伝えられた歌です。

 

市町村 石岡市
原文著者 木村 進
原文著者(ヨミ) キムラ ススム
生年 1948年
原文著者備考 昭和23年 新潟県小千谷市に生まれる
現在 茨城県石岡市在 (株)アルテック 代表
昭和49年 慶応大学工学部大学院(修士)卒
大手電機メーカで設計などに従事、定年退職後ふるさとに眠る埋もれた歴史などを掘り起こし、ブログや書籍で活動をしている。
著書に「ちいきに眠る埋もれた歴史シリーズ」がある。「ふるさと風の会」会員
原文著者 LaLa mosura
原文著者(ヨミ) ララ モスラ
原文著者備考 イラスト 現在 茨城県石岡市 在 中学生 小学6年生の11月からイラストを描き始め、絵はすべてのモノに命があり、土や水にも顔があると考えて描いている。想像の世界のキャラクターたちがカラフルに描かれた独特のイラストが評判を呼び、地元を中心に個展を数回開いている。
媒体 zine
収録資料名 石岡地方のふるさと昔話
収録資料名(ヨミ) イシオカ チホウ ノ フルサト ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 ふるさと風の文庫
民話ページ P45 〜 P47
収録資料出版社 ふるさと”風”の会
収録資料出版年月日 2016.9.1
言語 日本語
方言 標準語
備考 ¥750
収録資料シリーズ名および収録資料出版社は、標題紙による。
奥付には「風の文庫」「地域に眠る埋もれた歴史シリーズ(別冊1)」とある。

このおはなしが伝えられた地域