茨城の民話Webアーカイブ

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蕎麦と椿のない村

ソバ ト ツバキ ノ ナイ ムラ

原文

むかし、飯倉(稲敷郡阿見町)の明神様は、たいそう力の強い神様でした。近郷近在に、この神様と力くらべをして勝てる神様はなく、その強さは天下一、という評判が立っておりました。
ところが、ここから遠く離れた村にも"自分が天下一の力持ち"と豪語する明神様がおり、そのうち噂がおたがいの耳に入るようになりました。
ある夏の日のこと、遠い村の明神様が白馬にまたがり、村に乗り込んで来たのです。「天下一の力持ちの神がいると聞いてやって来た。ぜひ、お手合わせ願いたい。この場でどちらが天下一かをはっきりさせようではないか。」
「それはこちらも望むところだ。さぁ、かかって来い。」
さすが、天下一と言われる神様同士だけあって、勝負はなかなかつきません。地響きをたて、大地を揺るがし、すさまじい戦いは七日七夜に及びました。
やがて、飯倉の明神様の方に疲れが見え、ジリジリと蕎麦畑に追いつめられてしまいました。その上、運悪く、伸びた蕎麦の茎が足にからまり、動けなくなってしまったのです。
遠くの村の明神様は、ここぞとばかりに、近くにあった椿の木を根こそぎ引き抜いて飯倉の明神様をさんざんに打ち据えてしまいました。「どうだ。恐れ入ったか。これで俺様が天下一だ。」遠くの村の明神様は、意気揚々と引き揚げて行きました。
それ以来、飯倉の明神様は、蕎麦と椿をひどく嫌うようになり、村では蕎麦を作ったり、椿を植えるのを止めるようになったと言うことです。

 

市町村 阿見町
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P224 〜 P224
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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