茨城の民話Webアーカイブ

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白ひげ大明神

ヒロヒゲ ダイミョウジン

原文

水戸黄門の名で親しまれている徳川光圀が、水戸藩の藩主であった時のお話です。
水戸藩では代々、藩主は必ず一度は八溝山に参拝する、という習わしがありました。そこで、光圀もその例にならい、ある日、お供とともに八溝山参りをし、道すがら神社・仏閣を視察しておりました。途中、矢田(久慈郡大子町)の大鈴神社の前を通りかかった際、光圀は、村の庄屋を呼び寄せ、この神社の名の由来を訊ねました。
庄屋は、「むかし、このあたりには、下野宮の近津神社の入り口にあたるということで遠鳥居がございました。そのようなことから、後に近津神社の分霊を移してここに神社を建てたものと思われます。祭神は猿田彦命ですが、近津神社にあった大鈴を御神体としておりますので、大鈴神社と呼ぶようになったのでございます。」と答えました。
光圀は、興味を抱き、馬から下りると早速神社を参拝し、社前で「我は徳川光圀でござる。大鈴神社の祭神、もし、居られるならそのお姿をお現わしいただきたい。」と言いました。
すると、光圀の前に、杖を手にし、真っ白く長いひげをたくわえた老人がスッと現われたのです。老人は、光圀をじっと見つめると、「我は、この神社の祭神、猿田彦命じや。貴殿のお望み通り、姿をお見せした。」と言うと、またたくまに消えてしまいました。
我が目で祭神を確認した光圀は土地の者に、「祭神は、白ひげの老人であった。これからは、この神社を白ひげ大明神と呼ぶが良かろう。」と言い残し、神社を後にしました。
それ以来、大鈴神社は白ひげ大明神とも呼ばれるようになったと言うことです。

 

市町村 大子町
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P223 〜 P223
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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