茨城の民話Webアーカイブ

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お使い鹿と金坪光

オツカイシカ ト カネツボコウ

原文

今から二〇五〇年ほど前のお話です。中妻の里(現在の東茨城郡内原町)は、たいそう鹿島信仰の厚い土地でした。その里では、何かにつけて鹿島神宮にいろいろなものを奉納しておりましたので、里には中妻と鹿島の宮とを往復し、奉納品を届けてくれる「お使い鹿」がおりました。
ある日のこと、いつものようにお使い鹿が奉納品を背に鹿島をめざし、遠木地内の日渡川(現在の桜川)の土手を走っておりました。ところが、運悪く、獲物と間違えた猟師に鉄砲で撃たれ、その場に倒れてしまったのです。久しぶりに大物を仕留めた、と猟師がホクホク顔で近づくと、その鹿は背中に荷物を付けているのではありませんか。「こりゃ、鹿島様へのお使い鹿だ。俺はとんでもねえことをしちまった。」猟師は、驚きと恐ろしさで、ただおろおろするばかりでした。
やがて、我に返ってあたりを見まわすと人気も無く、猟師はこれ幸いと土手に穴を掘って、こっそりと鹿を埋めてしまいました。
それから一〇〇年位経って、日渡川の土手から怪しい光が出るという噂が広まったのです。その正体が何かはわかりませんでしたが、金坪水田のそばだったので、「金坪光」と呼ばれるようになりました。さらに時を経て、明治の初め頃、大足村の人が日渡川の土手で盆栽にする木を探していて偶然、「奉上鹿島神宮」と記されたピカピカ光る金銅製の金具を掘り当てました。昔から噂になっていた「金坪光」が、この奉納品が誰かに掘り出してもらいたくて光を放っていたものであったかどうかはわからずじまいでしたが、それ以来、「金坪光」を見たという話は聞かなくなりました。
後になって、奉納品の出所である遠木坪の人たちの願いによって鹿島神社が建てられ、奉納品が大切に祭られたということです。

 

市町村 水戸市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P222 〜 P222
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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