茨城の民話Webアーカイブ

ヘッダーライン
あいうえお順検索
くわしい検索
ライン

検索結果にもどる

弘法の牛石

コウボウ ノ ウシイシ

原文

むかし、引田村(現在の大宮町若林)に、吾兵衛という働き者の若者がおりました。前日からの雨が上がり、天気も良いので、吾兵衛は牛を引いて長田の山に出かけました。
牛の背に薪を積んで帰る途中のこと、難所と言われる広見ヶ入の峠で、牛がぬかるみに足を取られ、谷底に転げ落ちてしまいました。吾兵衛もあわてて谷底に駆け下りると、牛の名を大声で呼びながら必死で体をさすったのですが、牛はぐったりとしたまま動かないのです。途方に暮れた吾兵衛が、ふと見上げると、峠道を行く旅のお坊さんの姿が目に入りました。
「お坊さま、助けてください。」そう叫ぶと、お坊さんは谷底まで下りて来てくれました。吾兵衛から、この峠では雨が降るたびにこんなことが起こると聞いたお坊さんは、「これからこのようなことが無いよう、私がまじないをして差し上げよう。」と言いました。そして、「この牛は、これから神となってこの峠を通る牛や馬を守ってくれるだろう。」と言うと、呪文を唱え、錫杖を牛の体にそっと当てました。
すると、不思議なことに、牛は石になってしまったのです。「お坊さま、どうして私の大事な牛を石に…。」吾兵衛は、悲しそうにその前に立ち尽しておりました。しばらくすると、お坊さんはどこからか丈夫そうな牛を連れて現われ、「お前の牛は、この峠を通る牛や馬の守り神になったのだよ。代わりにこの牛を連れて行きなさい。」と言うと姿を消してしまったのです。
この話は村中に広まり、いつしか、その旅の僧は弘法大師に違いないと噂されるようになりました。やがて、その石は「弘法の牛石」と呼ばれるようになったのだそうです。

 

市町村 常陸大宮市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P216 〜 P216
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

このおはなしが伝えられた地域

資料スキャンデータダウンロード