茨城の民話Webアーカイブ

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鹿島の鬼退治

カシマ ノ オニタイジ

原文

むかし、むかしのこと、鹿島のあたりに、恐ろしい鬼が棲んでおりました。鬼は、ひんぱんに村を襲っては、家畜や食料を奪い、そのうち、家に火を放ったり、人にまで危害を加えるようになりました。村人達は困り切って、「このままでは、村は全滅だ。だれか、鬼を退治してくれる者はいないだろうか。」と、相談しておりました。
すると、村の若者の一人が、「よし、俺が鬼を退治して、きっと首を持ち帰ってくるぞ。」と言って、勇んで出かけて行きました。ところが、その若者は、とうとう村には帰って来なかったのです。そこで、村おさは、近隣に、「鬼を退治してくれた者には、お礼を差し上げます。」というおふれを出しました。
その甲斐あって、力のありそうな者があちらこちらから続々と集まり、鬼退治に向かったのですが、やはり、誰一人戻って来ませんでした。村おさが、「もう、鬼退治はやめよう。」と言いだしたその矢先、鬼は、他の村々にも出没して暴れ出したのです。
ちょうどその頃、武甕槌命という神様が、悪い者をこらしめるため常陸国をまわっておりました。神様は、鹿島でこの話を聞き、「私の刀をもってすればきっと鬼に勝てるだろう。」と自信満々で鬼退治に向かいました。そして、見事に鬼の首を取って来たのです。神様は、「鬼塚」をつくり、鬼のなきがらを埋めて供養し、また、鬼と戦って死んだ人たちのために社を建てたと言われています。
その後、神様は、この地方の守り神として祀られ、その社が鹿島神宮なのだそうです。行方郡北浦村には鬼越貝塚がありますが、この鬼越と言う地名にも同じような話が残っています。

 

市町村 鹿嶋市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P215 〜 P215
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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