身代り名号
ミガワリ ミョウゴウ
原文
親鸞聖人の弟子に、聖人の死後「歎異抄」をまとめたと言われる唯円というお坊さんがいました。水戸市河和田町にある報仏寺は、その唯円が開いたお寺と言われています。
唯円は、聖人に出合うまでは、大部の平次郎と言う猟師でしたが、悪業の仕放題で、村でも評判の嫌われ者でした。
一方、平次郎の女房は、とても心の優しい人で、いつも夫の悪業に心を痛めておりました。
ある時、女房は、稲旧の草庵に親鸞聖人がいると聞いて出かけ、その有難いお話に接してからは時々草庵に通うようになりました。
そんなある日、聖人に悩みを打ち明ける機会に恵まれました。
すると聖人は、「帰命尽十方無碍光如来」の十字を書き与え、「これからはここに来ずとも、辛い時はこの名号に念仏を唱えなさい。あなたの願いはきっと仏様に屈くであろう。」
と言うのです。
それから女房は、夫のいない時に、こっそり名号を取り出しては、一心に念仏を唱えておりました。
ところが、ある日のこと、その姿を平次郎に見られてしまったのです。女房があわてて名号を懐にしまうのを見た平次郎は、手紙と勘違いをし、「今、何を隠したんだ。出してみろ。俺に見せられない手紙なのか。」
怒り狂った平次郎は、鉄砲を持ち出し、逃れようと林に飛び込んだ女房めがけ、銃弾を放ったのです。
やがて、我に返った平次郎は、「ああ、女房を殺してしまった。俺は、どうしようもない大馬鹿者だ。」とぼとぼと家に戻ると、何と、家で女房が水仕事をしているではありませんか。
驚いてさきほどまでのいきさつを話すと、女房は、「その紙は聖人様から頂いた名号だよ。」と言い、懐から取り出したのです。
すると、名号は、焦げて穴が空き、血に染まっていました。
「ああ、何ともったいないことだ。この名号がお前の身代りになってくれたのだ。」
夫婦は、その日のうちに稲田の草庵に駆けつけ、平次郎は親鸞聖人の弟子の一人に加えていただいたのだそうです。
市町村 | 水戸市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P213 〜 P213 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |