茨城の民話Webアーカイブ

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蛇塚と石神さま

ヘビヅカ ト イシガミサマ

原文

日立市宮田町の山林に「蛇塚」と呼ばれる所があります。
今も神峰公園から神峰山に通じるハイキングコースの山道沿いに、「蛇供養之墓」と刻まれた石碑が建っています。
むかし、戦国時代以前は、このあたりは山深く、大蛇が棲んでおりました。
大蛇は、しばしば、山仕事や草刈りのに仕事に来た村人の前に姿をあらわしては危害を加えたので、村人たちは怖がって近付かなくなりました。
この話を聞いた宮田の水庭若狭守という武士が、村人のために大蛇退治に向かいました。
水庭片狭守は、弓の達人で、見事、恐ろしい大蛇を大弓で射止めたのです。
村人たちは、「これで、もう安心だ。以前のように山に入れる。」と喜びました。
そのうち、誰言うと無く、「さんざんひどい目に遭った大蛇だが、後々たたりがあっても困る。供養してやろう。」と言うことになりました。
村人たちは、大蛇の死骸をねんごろに埋葬して、供養の石碑を建てたのだそうです。
もう一つ、大蛇に関するお話です。
ここから西に、玉簾の滝の方に向かって行くと、東河内町字中島に「石神さま」(または「石神どの」・「中島どの」)と呼ばれる石があります。
石は中里中学校体育館の裏手の竹薮にあり、高さ三メートル、周囲約一⑫メートルもの巨石なのです。
この石の中には、大蛇が棲んでいて、たまたまその姿を見てしまった者は、三年以内に必ず死ぬと言い伝えられているそうです。

 

市町村 日立市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P212 〜 P212
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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