茨城の民話Webアーカイブ

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幽霊済度

ユウレイ サイド

原文

鹿島郡鉾田町鳥栖の無量寿寺に聖人幽霊済度の話が残っています。
鎌倉時代のこと、地頭の村田刑部少輔平高時の妻が、難産がもとで、十九歳という若さで死んでしまいました。
ところが、無量寿寺に葬られた妻は、残った幼い我が子のことが心配で成仏できず、夜な夜な墓場から抜け出してくるのです。
そして、一晩中、子供に寄り添い、朝になると、また墓場に戻って行くのでした。
この幽霊の話は、あっという間に村中に広まり、皆気味悪がって、お寺に参拝する人すら、ほとんどいなくなってしまいました。
無量寿寺のお坊さんの力ではどうすることもできず、他の手だてもいろいろ試みましたが、高時の妻の幼子への愛着の強さには通じませんでした。
そのうちに、お坊さんも出て行き、寺はどんどんさびれるばかりでした。
高時はじめ村の人々は、困り果て、迷える魂を救おうとして手を尽しましたが、いっこうに収まる気配がありませんでした。
ちょうどその頃、親鸞聖人が弟子を連れて近くを通りかかりました。
この話を聞いた聖人は、寺に行くと、小石一つに一文字ずつ浄土三部妙典二万六千六百十二字を書き、念仏を唱えて霊を慰めました。
すると、その晩から幽霊は出なくなったと言うのです。
となりの東茨城郡小川町にも、同じような、親鸞聖人にまつわる喜八阿弥陀という話が残っています。

 

市町村 鉾田市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P203 〜 P203
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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