茨城の民話Webアーカイブ

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稲虫地蔵

イナムシ ジゾウ

原文

今でも、農作物の出来・不出来はかなり天候に左右されます。
まして、むかしは、天候不順が続くとどうすることもできず、農民はおろおろするばかりでした。
しばらく雨が降らないと日照りを、雨が降り続くと洪水を、そして寒い夏には冷害を…、と心配の種は尽きません。
ある年の夏のこと。下高津(土浦市)あたりの村では、どの水田の稲も順洲に育ち、今年は豊作が望めそうだ、とみな一安心。
夏祭りも、豊作を祈願して、いつもの年よりも盛大に行いました。
ところが、祭りの後、しばらくして、稲の色が悪くなりはじめたのです。
やがて、イナゴや稲の害虫が大発生し、村中の田という田に広がっていきました。「今年こそは、とみんな一生懸命働き、豊作祈願の祭りもしたというのに、なんて事だ。」
秋の収穫を目前に、村人たちは途方に暮れてしまいました。
村人たちは、何度も集まっては話し合いを持ちましたが、これといって良い案が浮かびませんでした。
そのうち、一人の男が、「今年は、もう仕方ねえ。でも、来年こそは豊作になるように稲虫封じのお地蔵様を建ててはどうだろうか。」と、言い出したのです。
お金がかかることなので、反対する者もいたのですが、結局「田んぼを見渡せる高い所にお地蔵様を祀って、見張り役をお願いするのが一番かもしれねえ。」ということになりました。
お地蔵様は、根田の坂上に建てられました。
そして、次の年は、お地蔵様の睨みが利いたのか、久し振りの豊作になったのです。
それ以来、このお地蔵様は、「稲虫地蔵」と言われるようになりました。今でも下高津小学校の北側斜面に残っていますが、頭部が無くなっているので、「首なし地蔵」とも呼ばれています。

 

市町村 土浦市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P202 〜 P202
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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