茨城の民話Webアーカイブ

ヘッダーライン
あいうえお順検索
くわしい検索
ライン

検索結果にもどる

おいてけ沼

オイテケヌマ

原文

むかし百戸(猿鳥郡境町)と言う所に、利根川の氾濫により水が溜ってできた小さな沼がありました。この沼には、葦が生い茂り、あたりには人家も少なく寂しい所でしたが、時々、魚を釣りに来る人がおりました。
魚はたくさん釣れるのですが、いつのころからか、時折不思議な事が起こるようになりました。
仲間と一緒の時や、まだ明るいうちは何事もないのですが、一人で暗くなるまでいると、帰りぎわにどこからともなく「おいてけー。おいてけー。」と言う不気味な声が聞こえてくるのです。
その声を聞いた釣り人は、腰を抜かさんばかりに驚き、一目散に家に逃げ帰るのでした。
そして、家で一息つき、さあ、釣った魚を取り出そうと、びくをのぞくと中は空っぽなのです。
このような事が何度も続き、村中で評判になると、好奇心の強い若者が沼に網を仕掛けようと言いだしました。
もちろん、村の長老達は、沼に棲むものが何であるかわからないし、たとえ暴いたとしても罰が当るかも知れないと反対しましたが、若者達は問き入れませんでした。
ある夏の日、二人の若者が、朝から晩まで泥だらけになって沼に網を打ちました。
ところが、不思議な事に、その日に限って、網には魚が一匹としてかからないのです。
若者達は、へとへとになって家に帰りました。
この話を聞いた村人達は、もうあの沼には魚がいないのかと心配になり、試しに釣りに行ってみると、前と同じように釣れるではありませんか。
でも二人の若者にはそれ以来、一匹の魚も釣れなくなりました。
若者だけではなく、若者の家族が釣りに行っても同じことでした。
しばらくして、若者たちは、そのことが、自分達が面白半分に沼の主を暴こうとした報いであったことに気づき、沼の主に心から謝りました。
それ以来、沼は「おいてけ沼」と言われるようになりました。
この沼も今は埋め立てられ、水田になっているそうです。

 

市町村 境町
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P194 〜 P194
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

このおはなしが伝えられた地域

資料スキャンデータダウンロード