鍋かけず
ナベ カケズ
原文
その昔、下館城のお殿様・水谷様が河童の淵に黄金造りの鞍を落とした話は、百九十話の「宝が淵」で紹介しました。
その時、殿様は、ご褒美として、鞍を見つけてお城に届けた下中山の村人に、お米五十俵を、そして村へは年貢免除の田んぼ三反歩を下さいました。
それ以来、この村では、殿様からいただいた田んぼの収穫が終わると、その米をもとに、殿様への感謝の気持を忘れないように、「鍋かけず」という行事を行うことになりました。
祭りは、毎年、十月二十五日から三日間行われ、当番となった家で用意したお酒やごちそうが、だれかれの区別なくふるまわれました。
この三日間は、食べ放題、飲み放題で、間に歌や踊りも入り、村中が殿様の徳をたたえて盛り上がるのでした。
ところが、何年かして、村人の中から、「鍋かけず」で米を使ってしまうより、町に売りに行って金に換えようではないか、という話が持ち上がりました。
「とんでもないことだ。」と、はじめは恐れて反対する人もいましたが、欲には勝てず、いつしか米を売るようになってしまったのです。
それから何年かして、この平和な村に不審火が続きました。
村人の中には気味悪がって、何かのたたりではないかと言い出すものもおりました。
そこで、成田神社の宮司さんに占ってもらうと、「何と、領主様の怒りとでておるぞ。何か心当たりはないかな。」というのです。
はっとして、地主が「実は、お殿様からいただいた田の米を鍋かけずに使わず、金に換えてしまっておりました。」と答えると、宮司さんは、「これからは決してその様なことはせぬように。もし一人でもずるい考えを持ったものがいると、火事はまたおきるかもしれない。その晩には市松模様の元禄袖の着物を着た稚児が村の中をかけ抜ける、とでておる。」というのです。
それを聞いた村人たちは大いに反省し、また、二度と火事を出さないよう交代で夜回りを始めました。
でも、村人が暮れの忙しさについ気をとられたある晩、宮司さんのいっていた通りの稚児が村の中を走り抜けたのです。その後すぐ、火の手があがり、折からの突風に煽られて村の大半を焼く大火災になってしまいました。
これをきっかけに、村では「鍋かけず」の行事を欠かさず行っているということです。
市町村 | 筑西市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P193 〜 P193 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |