茨城の民話Webアーカイブ

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弘法水

コウボウスイ

原文

むかし、年の暮れの寒い日に、一人のお坊さんが、坂間村(現在の古河市坂間町)を通りかかりました。あいにく、降り始めた雪が激しさを増し、日も暮れかかっておりました。もう歩き続けることは無理と思い、お坊さんは一軒の民家を訪ね、一夜の宿を乞いました。すると、お婆さんが出て来て、快く招き入れ、いろりのそばに案内しました。
そして、「お坊さま、このようなもので申し訳ありませんが、どうぞお召しあがりください。」と、温かいおかゆをつくってさし出したのです。
貧しいその家では、正月用にとっておいたわずかのお米でつくったおかゆが、精いっぱいのもてなしでした。その晩のこと、世間話をしていると、お婆さんが、「お坊さま、実は私には目の見えない息子がいるのです。何とかして治してやりたいと思っているのですが…」というのです。
それを聞いたお坊さんは、「明日の朝、この雪がやんで晴れれば目は治るだろう。」と答えました。
お婆さんは、その晩は眠れませんでした。ひたすら明日は晴れますようにと祈り続けたのです。
夜が明けると、お婆さんは恐る恐る雨戸を開けました。すると、一面の銀世界に太陽の光がはねていて、まぶしいほどでした。ほっとした様子のお婆さんを見てお坊さんは、「ここから東の方へ歩いていくと川がある。その川の水で息子さんの目を洗ってやりなさい。」というと、旅立っていきました。
お婆さんは、いわれた通り、東に向かって歩き出しました。しばらくすると、「思案橋」にたどりつき、その下には、向堀川(総和町下辺見)が流れておりました。さっそく、川の水をくんで家に持ち帰り、息子の目をその水でていねいに何度も何度も洗うと、目が見えるようになったのです。
この話は、いつの間にか近くの村々に知れわたり、そこの水を浴びると病気やわざわいから逃れられると、大勢の人が訪れるようになりました。
きっと、そのお坊さんは、弘法大師にちがいないとうわさになり、やがてこの水は「弘法水」といわれるようになりました。
今でも、この近くに石の弘法像がまつられているのだそうです。

 

市町村 古河市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P188 〜 P188
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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