茨城の民話Webアーカイブ

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伊福部岳の雷神

イフクベダケ ノ ライジン

原文

むかし、ある兄と妹が隣合った田で、それぞれ田植えをしておりました。
夕方になって、急に雲行きが怪しくなり始めたので、兄は妹に、「今日はもう、切りあげた方がいい。日が暮れてまで仕事をしていると、伊福部岳の雷神が怒り出すぞ。」と言って、先に帰ろうとしました。
でも、仕事が遅い妹は、もう少しだからと田植えを続けていました。
すると、突然、雷が激しく鳴り響き、妹は落ちてきた雷に打たれて、死んでしまいました。
兄は、雷神をうらみ、妹の敵を討とうと決意したのですが、肝心の居場所がわからず途方に暮れておりました。
そんな時、一羽の雌の雉が肩先に止まりました。
雉は兄の強い願いにこたえ、雷神の居る伊福部岳まで道案内をしてくれたのです。
雷神を見つけた兄が、刀を抜いて斬りかかろうとすると、雷神は、「お願いです。命だけはお助け下さい。そのかわり、これからずっと、この土地に雷を落とすようなことはいたしません。」と、震えながら命乞いをするのです。
雷神があわれに思えた兄は、助けてやることにしました。
それから後、この地方では、落雷の心配がなく、人々が安心して暮らせるようになり、雉の恩を忘れることはありませんでした。
伊福部岳とは、日立市の川尻近くにある山ではないかと言われ、川尻の人たちの間には、むかしから"鎖守さまのお使い姫である雉を食べてはいけない。"という言い伝えがあるということです。

 

市町村 日立市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P180 〜 P180
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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