茨城の民話Webアーカイブ

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狐と赤ん坊

キツネ ト アカンボウ

原文

むかし飯島村(現在の大洋村)におまんという狐かおりました。
ある目、近くの大蔵村の稲荷を通りかかると、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえ、近づいてみると、双子の男の赤ん坊が捨てられておりました。
おまんは、青塚村(現在の大野村)にいるおせんという妹狐に相談をし、一人ずつ育てることにしたのです。
それから何年かして、狐たちは、子供たちの将来を思ったのか、飯島と青塚の地頭に、子供の養育を頼むことにしました。
狐は、女の姿に化けると、それぞれ子供をつれて地頭のところへ行き、由緒ある人の子供なので育てて欲しいと頼みこんだのです。
やがて、男の子たちは、たくましい若者に成長し、りっぱな漁師になりました。
そして、一人とも魚の群れを探す「沖合い」という重要な仕事を任されるようになりました。
二人が「沖合い」になってからは、豊漁が続き、漁師たちは大喜び。
ところが船が浜につき、地引網を引くと、毎日どこからかやってきて、網の中の魚をとっていく女がいるのです。
漁師たちは、「あの女は、いったい何者なんだ。ひょっとしたら狐かも知れねえ。よし、明日来たらこらしめてやる。」といって女を追い払ってしまいました。
そわからというもの、魚はまるっきりとれなくなり、その上、二人は「沖合い」の仕事をやめさせられてしまったのです。
それからしばらくしたある夜、飯島と青塚の地頭の夢の中に、不思議な老人があらわれ、「今までの豊漁は、おまんとおせんという狐のおかげだったのだよ。元通りにすれば、また豊漁にもどるだろう。」というのです。
地頭たちが、二人をまた「沖合い」にもどすと、豊漁が続き、漁師たちは感謝の気持をこめておまんとおせんに魚を供えるようになったということです。

 

市町村 鉾田市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P173 〜 P173
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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