茨城の民話Webアーカイブ

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七之助様

シチノスケサマ

原文

今から二百年も前のこと、日照りが続き、水不足で大きな被害が出た年がありました。
涸沼川沿いの村、島田でも、村人たちが、カラカラに干上がった田畑を前に途方に暮れておりました。
その時、以前、南部藩で神官をしていた七之助という人が、村人に向かってこういいました。
「もう、竜神様に雨を降らしてもらうより手だてはない。私かこれから会ってお願いをしてくる。もし、筑波山のてっぺんに笠雲がかかったら、『筑波山の笠雲ざあざあっと 降ってごよ 降ってごまげでご おしてごよ。』と、みんなで歌ってくれ。」そういい残すと、七之助は、涸沼川の水中にもぐっていってしまいました。
村人たちは、しばらく息をこらし、彼方の筑波山頃をじっと見つめておりました。
すると、七之助のいったように、山頂に笠雲がかかったのです。
村人たちの中から、おーっというどよめきが起こり、そしてそれはすぐに、七之助に教えられたあの歌に変わっていきました。やがて、村人たちの頭上に黒雲が広がり、大粒の雨が降り始め、村は救われました。
でも、七之助は、涸沼川の水中から生きて戻ることはありませんでした。
村人たちは、七之助の遺体を手厚く葬り、小さな祠をたてて、おまつりしたということです。
この祠は、水戸市島田町の香取神社の境内にあり、「七之助様」と呼ばれ、親しまれています。

 

市町村 水戸市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P171 〜 P171
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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