茨城の民話Webアーカイブ

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巴川の河童

トモエガワ ノ カッパ

原文

むかし、巴川の流れが、前原(小川町)と紅葉(鉾田町)の間にかかるところに、河童橋という橋がありました。
この橋の下には、河童の親子が三匹すんでおりました。
ある年の亥の子もちの行事が行われるころ(十一月)のことです。橋のまわりへ人間の子供たちがやってきて、遊んだり、おやつのもちをおいしそうに食べたりしておりました。
それをうらやましそうに見ていた河童の子供が、親のもとへもどると、「おいらも、人間の子供が食べているもちが食べたいよー。」と、泣いてせがむのです。
困った父さん河童は、かわいい子供のためなら、もち一つぐらいと一大決心をし、人間の家へ盗みに入ったのです。
ところが運悪く、村人たちに見つかり、追いかけられるはめになりました。
父さん河童は、必死で川まで逃げ、水の中に飛び込んだのです。
ひどくあわてていたせいか、水中の杭に、思いっきり頭をぶつけ、大事な皿を割り、あっけなく死んでしまいました。
次の日、川にうかぶ父さん河童のなきがらが見つかり、残された母と子の河童はどこかへ姿を消してしまいました。
その後、しばらくして、村の子供たちの中に、川で流されたり、ケガをする者が多く出るようになりました。村人たちは、これは河童のたたりにちがいないと、河童の命日に供養をし、お供えのもちを川へ流しました。
それから、子供の水の事故は無くなったということです。
十二月一日に、もちをついて水神様に供えたり、川へ流したりする水難除けの行事は、カピタリモチ(川浸りもち)、カピタシモチ(川浸しもち)、カーペェリモチ(川入りもち)などと呼ばれ、戦前まで、県内各地で行われておりました。

 

市町村 小美玉市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P166 〜 P166
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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