茨城の民話Webアーカイブ

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親鸞聖人と餓鬼

シンラン ショウニン ト ガキ

原文

むかし親鸞聖人が筑波山に参詣した時のことです。
前夜、ふもとの宿に泊り、ぐっすり眠っていると、聖人の夢の中に一人の子どもが現われ、「私は、筑波権現の使いである。明日、必ず筑波山にある三つの岩屋のうちの中の岩屋に来ていただきたい。」というと、フッと消えてしまいました。
聖人は不思議に思いながらも次の日、子供のいったその岩屋へ行ってみました。
すると、そこには、中に水のいっぱい入った土釜と、カラッポの鉄釜とがあるだけでした。
しばらくあたりを見まわしていると、岩屋の奥から、餓鬼がぞろぞろと出てきたのです。
そして、「私どもは、人間界にいた時、欲深で、節度のない生活をしたため、罰があたって餓鬼になってしまったのです。それでも、筑波権現様のおなさけで、この岩屋に住まわせてもらっています。
でも、毎日、釜の水をー滴しか飲めないのです。
二滴目から、水は炎に変わり、腹わたを焼きつくすので、どんなにのどが渇いても、苦しくても飲めないのです。
聖人様、どうかこの苦しみから私どもを救ってください。」と、泣きながら何度もお願いするのです。
聖人は、哀れに思い、「では、今までの行いを反省し、心から念仏を唱えなさい。」といいました。聖人のいう通りに、餓鬼たちが念仏を唱え始めてしばらくすると、五色の美しい雲がすーっと降りてきて、餓鬼たちを乗せ、西方の極楽浄土めざして消えて行った、ということです、この聖人伝説の図絵が、つくば市大曽根の常福寺に宝物として残っています。

 

市町村 つくば市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P162 〜 P162
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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