茨城の民話Webアーカイブ

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手をはさまれた光圀公

テ オ ハサマレタ ミツクニコウ

原文

むかし徳川光圀が、笠間の稲田神社に参拝した時のことです。
本堂の扉が古くて、建て付けの悪いせいか、隙間があいておりました。光圀が中をのぞこうとして、扉に手をかけると、突然、ガタンと扉が閉まり、手をはさまれてしまいました。
光圀が、力まかせに手を抜こうとしても、固く閉まった扉はびくともしません。
あまりの痛さに耐えかねた光圀の声に、驚いてかけつけたお供の者たちがやっとの事で扉をこじ開けました。
光圀は、自分の行動が身勝手で向こう見ずであったために、神様がおとがめになったのであろうと深く反省し、詫び証文を書き、後に日月四神の旗を寄進したということです。
また、同市木崎台にある玉日廟にも同じような話が残っています。
玉日廟は、親鸞聖人の妻と言われる恵心尼の墓所ですが、恵心尼が関白九条兼実の娘で、玉日姫と言われていたところからそう呼ばれています。
光圀が江戸へ上る途中、ここで恵心尼の位牌を入れてある厨子の扉に右手をはさまれてしまい、左手で詫び証文を書き、何度も頭を下げて拝んだので、やっと手が抜けたというお話です。

 

市町村 笠間市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P154 〜 P154
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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