茨城の民話Webアーカイブ

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東福寺の仁王像

トウフクジ ノ ニオウゾウ

原文

玉造町浜地区にある東福寺は、むかしから「お薬師様」の名で知られ、今でも縁日には、たくさんの人々が参拝に訪れます。
とくに、眼の病気で悩んでいる人は、タニシを断って、お薬師様に願をかけると必ず直ると言われておりました。
東福寺の、そのタニシにまつわるお話です。
むかし、浜地区のほとんどを焼き尽くすという大火事がありました。
西からあがった火の手は、おりからの強風にあおられて勢いを増し、東福寺の方へ向かいました。
寺のそばの油夜では、大勢の使用人が蔵の中の油樽を安全な所に移そうと、必死で運び出し始めました。
ところが、その中でも一番力持ちの黒長という男だけは、どっかと座りこんで、飯を食べているのです。
使用人の一人が、「おい、飯なんか食ってる塲合じゃねえだろう。」と言うと、「腹が減っては戦は出来ねえ。」と、落ち着き払っているのです。
やがて、腹ごしらえをした黒長は四斗樽を両脇にかかえ、たちまちのうちに、残り全部を運び出してしまいました。
(これでひと安心。)と思った矢先、今度は黒長の耳に、「仁王門に火が移ったぞー。」という声が聞こえました。
黒長は、飛んでくる火の粉を振り払いながら、あっと言う間に仁王門の二体の仁王像を運び出し、池の中に投げ入れてしまいました。
跡形もなく焼け落ちた仁王門を見た人々は、当然、仁王像も一緒に焼けてしまったと思いました。
ところが、何年かして、ひょんなことから、仁王像が見つかり、池の中から引き上げられたのですが、体中に、タニシがびっしりと着いていて、すぐには仁王像だとは気付かないほどでした。
村人たちは、「タニシは、仁王様のお仕え姫と聞いたことがある。だから、仁王様を守ってくださったにちがいない。ありがたいことだ。」と大喜び。
それ以来、このあたりでは、タニシを食用にしなくなったということです

 

市町村 行方市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P148 〜 P148
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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