茨城の民話Webアーカイブ

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山の神退治

ヤマ ノ カミ タイジ

原文

新治郡新治村の日枝神社は、明治維新前は、山王大権現と言い、「山王さま」の名で親しまれていました。
むかし、山王さまの北の山奥に、村人が「山の神」と呼ぶ正体のわからぬものがすんでおりました。
この山の神は、村人たちの暮らしを守るどころか、たびたび村に降りてきては、田畑の作物を荒らしたり、家畜を奪い、さんざん村人を苦しめておりました。
ある日、甲山城主・小神野越前守は、名主の娘が山の神を鎮めるために人身御供に出されるという話を耳にしました。
心優しい越前守は、(これは凶暴な獣の仕業に違いない。何とかして娘を助けてやりたい。)と思い、弓の名手・市川将監の力を借りて退治することにしました。
いよいよ、人身御供を差し出すその日、娘の入った柩をかついだ村人の行列が、足取りも重く山へ向かいました。
準備をととのえた越前守と将監は、こっそりとその後を追いました。
村人たちが山の上に柩をおいて一目散に逃げ帰った後、二人は
木陰にひそみ、山の神の出てくるのをじっと待ちました。
すっかり夜も更け、しばらくして、二人は闇の中から、大きな、怪しげな影がすーっと柩に近づいてくるのを感じ取りました。
「怪物め、あらわれたな。」そう言う間もなく、将監の矢が怪物めがけてさっと放たれました。
矢はみごとに命中し、怪物が闇をつんざくほどの叫び声をあげると、すかさず、かけ寄った越前守が刀を振りおろし、とどめを刺しました。
怪物の正体は、年老いた大猿だったのです。二人は、娘を無事助け出し、村へ連れ戻りました。日枝神社で毎年四月に行なわれる流鏑馬は、この話に由来すると言われています。

 

市町村 土浦市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P147 〜 P147
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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