茨城の民話Webアーカイブ

ヘッダーライン
あいうえお順検索
くわしい検索
ライン

検索結果にもどる

文助の弓矢地蔵

ブンスケ ノ ユミヤ ジゾウ

原文

むかし、笠間藩に、栗原という名の弓の先生がおりました。
この先生のもとで学ぶたくさんの弟子の中に、宮下文助という男がおりました。
文助自身は、真面目に修業に励んでいるつもりなのですが、弓の腕前はさっぱり上がりませんでした。
ある日、先生は、文助のあまりの不器用さにいらだち、「玄勝院の地蔵でも射ってこい。」としかりつけました。
その言葉を真に受けた文助は、足取りも重く玄勝院に向かいました。
でも、お地蔵さまに向けて、矢を放つことなどとてもできず、何度も何度も矢をつがえてはおろし、ためらっておりました。
しばらくして、お地蔵さまに顔を向けると、文助の目には、お地蔵さまが、自分の気持を察しているかのように優しくほほえんで見えたのです。文助は、(どうかお許しください。)と心の中でわび、お地蔵さまめがけて矢を放ちました。
すると、矢は勢いよくお地蔵さまの胸に当たり、火花が散りました。
「お地蔵さま、申し訳ありません。」そう言って文助がかけ寄って見ると、お地蔵さまの胸もとが欠け、その破片が足もとに落ちていたのです。
文助は、自分の弓の威力に驚くと同時に、初めて自信を持つことができ、お地蔵さまにていねいにお礼を言いました。
それからというもの、文助の弓の腕前はぐんと上がり、先生を超えるまでになりました。このお地蔵さまは、その後、文助の弓矢地蔵と呼ばれるようになったということです。

 

市町村 笠間市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P146 〜 P146
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

このおはなしが伝えられた地域

資料スキャンデータダウンロード