飽田の村
アキタ ノ ムラ
原文
むかし、日本武尊が、東国の辺境をお歩きになっている途中、道前の里(現在の日立市小木津・田尻付近)に、お泊まりになりました。
その時、里人が尊に、「このあたりの野には、数えきれないほどの鹿が群れていますし、海には大きな鮑をはじめ、珍しい魚や貝がたくさんおります。」と申し上げました。
そこで尊は、后の大橘比売命に、「海と山にわかれ、どちらが獲物を多くとれるか競い合おう。」と仰せになりました。
尊は、家来とともに、野に出向き、獲物をねらって、一日中、駆けめぐりましたが、一頭も射止めることができませんでした。
一方、后は、大漁に恵まれわずかの間にとれた海の珍味をどっさりと持ち帰り、尊の帰りを待っておりました。
日が落ちてからお戻りになった尊は、ごちそうを食べた後、「私に野の獲物は無かったが、海の幸は、飽きるほど味わうことができた。」と、満足そうに仰せられました。
その後、この尊のことばから、この地に飽田の村という名がついたということです。
これは、常陸国風土記に記されている話で、現在の日立市小木津町の小字「相田」にその名を残しているといわれています。
市町村 | 日立市 |
---|---|
原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P142 〜 P142 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |