茨城の民話Webアーカイブ

ヘッダーライン
あいうえお順検索
くわしい検索
ライン

検索結果にもどる

弁天堂の大入道

ベンテンドウ ノ オオニュウドウ

原文

むかし旅のお坊さんが子生(鹿島郡旭村)の名主の家を訪ね一夜の宿を乞いました。名主は、「あいにく今日は、とりこんでおりまして、お泊めすることはできません。むこうの森の中に、弁天様のお堂があるので、そこにお泊まりになってはいかがでしょう。ただ、村の者は化け者がでると言って近づかないのですがね。」と言いました。
でも、お坊さんは、「それはありかたい。では、今晩はそこに泊まらせてもらいましょう。」と、お堂へ向かいました。
お坊さんは、お堂につくと、旅の疲れからか、すぐに寝こんでしまいました。その真夜中のこと。はげしい雨風の音で目をさますと、その音にまじって、誰かが扉を叩く音がするのです。
(名主の言っていた化け者であろうか…)お坊さんは、錫杖というつえを手にし、扉をあけました。すると、目の前に大入道が立っており、「ここは俺の家だ。俺に断わりもなく泊まるとは許せん。」と、おそろしい顔で言うのです。
お坊さんが訳を話すと、大入道は「それなら、俺と一緒にお堂のまわりを三べんまわれば泊めてやろう。」と言い、「今夜、初めてお目にかかる、おんめでたいぞ、ピョロリン、ピョロリン、オッピョロリン、スッデンボーでもないように、ノッペラボンノボー…」と、意味不明な文句をくりかえしながら先を歩き始めました。
お坊さんは、後についてしばらく歩くと、いきなり錫杖を振り上げ、大入道の頭のてっぺんめがけて打ちおろしました。
すると、バーンという音をたてて、大入道は消えてしまったのです。
明くる朝、お坊さんが起きて見ると、そこに大きなひょうたんがくだけ散っていたのでした。

 

市町村 鉾田市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P141 〜 P141
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

このおはなしが伝えられた地域

資料スキャンデータダウンロード