茨城の民話Webアーカイブ

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童子女の松原

ウナイ ノ マツバラ

原文

常陸国風土記に、軽野の里(鹿島郡神栖町)の南にある童子女の松原に関する、次のような話が記されています。
むかし、那賀の寒田の郎子という若者と、海上の安是の嬢子というう娘がおりました。
二人とも、姿かたちが美しく、その評判は近隣の村々までひびきわたっておりました。
二人は、お互いに相手のうわさを耳にして、一度会ってみたいと思うようになり、その思いは、日に日に強くなっていったのです。
ある年の秋、二人は歌垣で偶然に出会うことになりました。
そして、歌を交換してお互いを確かめると、恋しい気持は、さらに強いものになりました。
二人は、人目をさけ、海辺の松の木陰で夜の明けるのも忘れて語り合っておりました。
ところが、朝を告げる鶏の鵈き声で気づくと、東の空には、もうまぶしいほど太陽の光があふれていたのです。
二人は、人に見られるのを恥じ、松の木になってしまいました。
これを知った村人は、郎子の松を奈美松、嬢子の松を古津松と名づけました。
それからずっと、この松原は、童子女の松原と呼ばれているということです。
※歌垣=奈良時代の頃、男女が集まってお互いに歌を詠みかわし踊って遊んだ行事。

 

市町村 神栖市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P133 〜 P133
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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