甚二郎稲荷
ジンジロウ イナリ
原文
むかし米畸(那珂町)の庄屋さんの家で甚二郎という若者が百姓奉公をしておりました。体は小さいのですが、大そうな働き者でした。
奉公して何年かたったある日、庄屋さんは甚二郎を呼び、「そろそろ、お前も一家をかまえてはどうだ。今までよく働いてくれたお礼に、何でもお前の望みをかなえてやろう。」といいました。
すると、甚二郎は、「では、庄屋さま、田んぼの稲わらを一背負い分いただきます。」というのです。
庄屋さんをはじめ他の奉公人は、あまりの欲の無さにあきれてしまいました。ところが、甚二郎は、田んぼの稲わらを小山のように積み上
げると、軽々と背負って帰っていったのです。
これには、一同びっくり。広い田んぼには、一本の稲わらも残っておりませんでした。
それからしばらくして庄屋さんは、大変なことに気づきました。わらがなくては、年貢米と一緒におさめる縄をなうことも、次の年に使う堆肥料を作ることもできないではありませんか……。
困り果てた庄屋さんは、甚二郎のところへ相談にいきました。
すると、甚二郎は、「それなら全部お返ししますよ。田畑のない私には、もともと必要のないものです。それより、庄屋さんのところで今まで通り働かせてください。」というので、庄屋さんは大喜び。
甚二郎は、百姓頭となり、それまで以上に働いたばかりでなく、村中の人々に、親切に稲づくりの手ほどきをしたのです。
村は豊かになり、甚二郎は亡くなったあとで、農業の神様としてまつられたのでした。これが甚二郎稲荷の由来だということです。
市町村 | 那珂市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P125 〜 P125 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |