茨城の民話Webアーカイブ

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火伏せの太子

ヒブセ ノ タイシ

原文

むかし、一谷山妙安寺(岩井市三)の本堂が、火災にあい、あやうく消失をまぬかれたことがありました。
火の気のない本堂の軒下に積んであったカヤから突然火がでたのです。
炎は、またたく間に、軒先を焦がし、今にも本堂に燃えうつろうとしていました。
人々が火を消そうとあわてふためいているとき、どこからともなく見知らぬ子供があらわれ、勢いづいた炎をこわがりもせずに、杉の小枝でたたき始めたのです。すると、炎は、見る見る小さくなっていきました。
しかし、火事がすっかりおさまった時には、もうその子供の姿はありませんでした。
人々は、あの子供は、いったいどこの誰だったのだろうとうわさしあいました。
明くる朝、和尚さんは、いつものように厨子の扉をあけてみて、びっくり…。中におさめられている聖徳太子の立像が、灰をかぶって汚れており、その上、手には焼け焦げた杉の小枝を持っているのです。
(火を消してくれた子供は、聖徳太子様だったのか…。)
この話が広まると、いつからか太子像は、「火伏せの太子」と呼ばれ、深い信仰を集めるようになりました。妙安寺には、この少年期の太子像(鎌倉期の寄木造り)と、聖徳太子絵伝(室町期)とがあり、それぞれ県の重要文化財、国の文化財に指定されています。

 

市町村 坂東市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P117 〜 P117
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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