茨城の民話Webアーカイブ

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土呂之助と亀

ドロノスケ ト カメ

原文

むかし、矢幡(麻生町矢幡)の要害台の下に、土子土呂之助という豪族が住んでおりました。ある日のこと、村人たちが、要害台より北浦の沖をながめながら、わいわい騒いでおりました。見ると湖に、何やら黒々とした大きな物が浮かんでいるのです。
どうやら、このあたりの田を荒らしては、村人を困らせている大亀のようなのです。
「よし、私が射とめてやろう。」弓の名人でもある土呂之助は、大亀にねらいをつけ、さっと矢をはなつと、矢は、みごとに亀の背中に命中したのです。
亀は、背に矢をうけたまま、沖合いへ流れていき、やがて見えなくなってしまいました。それからしばらくして、土呂之助が武者修行の旅の途中、鎌倉に立ち寄った時のこと—泊まった宿の床の間に、見おぼえのある矢が飾ってありました。
手に取って見ると、自分の銘が入っているではありませんか。宿の主人にたずねると、「背中に矢をうけた大きな亀が流れついたので、何かわけがあるのだろうと思い、大事にとっておいたのですよ。」という。
「で、亀の方は。」ときくと、裏の洗い場においてあるというのです。
見ると、畳一畳分もある甲羅が踏み台として使われておりました。
(何と不思議なめぐりあわせだ。)なつかしいようでいて、少し気味の悪さも感じたのですが、土呂之助は近ずいて、甲羅に足をかけました。すると、甲羅は急に割れ、足をとられた土呂之助はころんでけがをしてしまいました。
土呂之助は、この時の傷がもとで破傷風にかかり、旅先であっけなく死んでしまったということです。

 

市町村 行方市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P114 〜 P114
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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