十万地蔵
ジュウマン ジゾウ
原文
むかし、石神外宿(東海村)にあった大沼という溜池は、大雨がふると土手がくずれ、そのたびに農家の人々は水害に苦しめられておりました。
このあたりは、粘りけのない土質のため、土手は何度築き直しても大雨になると切れてしまうのです。こうも災害が続くのは、神仏のたたりにちがいない。村人たちは、相談の結果、人柱をたてて神仏の心をしずめることにしました。
選ばれた千寿郎という少年は、悲しみをおさえ、「私を見晴のよい所に埋めて下さい。いつも大沼をながめながら、この地を守りましよう。」といい残して人柱になりました。それから、大沼の土手は二度とくずれることはありませんでした。
このあわれな話を聞いた徳川光圀は、願成寺を建て、十万地蔵をつくって、千寿郎の霊をなぐさめたということです。ところが何年かたつうちに、大沼は埋めたてられ、願成寺が焼けてなくなると、十万地蔵もゆくえ知れずとなってしまいました。
やがて大正の終りごろのこと、重い病気にかかった真弓(常陸太田)の人が、修験者の教えにより、石神に埋まっているという石を掘りおこしてまつると、病気はすっかりなおってしまいました。この石が、あの十万地蔵だったというのです。
それ以来、十万地蔵は、難病、難産よけにご利益があると評判になり、多くの人々に信仰されるようになったということです。
市町村 | 東海村 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P111 〜 P111 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |