茨城の民話Webアーカイブ

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稲田の草庵

イナダ ノ ソウアン

原文

むかし、親鸞聖人は、西山内村(現在の笠間市稲田)に草庵を建て、ここを中心に広く布教活動を行っておりました。草庵には、たくさんの人が聖人の教えを聞きにやってきておりました。
福田村に住む弥七夫婦も遠い道のりを通っておりましたが、なぜか二人そろってくることはありませんでした。
というのは、弥七夫婦はあまりにも貧しかったため、よそいきの着物を一枚しか持っていなかったからなのです。
ところがある日、聖人の特別な話があると聞いて、その日ばかりは何としても一緒に話を聞きたいと思いました。
どうしたものかと考えたあげく、弥七はつづらの中に女房を入れ、三里の道を背おっていくことにしたのです。
草庵に着いた弥七は、一番後につづらをそっとおろすと、親鸞聖人の話を聞き始めました。
でも、つづらに入った女房には、聖人の話が聞きとりにくかったのです。
そこで、はじめのうちは、ふたを少しあけておりましたが、教えをよく聞こうとするあまり、つい身をのり出しすぎ、つづらからころげ出てしまったのです。
熱心に教えを聞いていた人達が、突然の物音に振り返ると、何と下着姿の女が倒れており、大騒ぎになりました。
すると、聖人は、「みなさん、静まりなさい。信仰の道とすがた、かたちを美しく飾ることとは何の関係もありません。ほんとうに大切なのは心なのです。弥七の妻こそ、お手本にすべきです。」とおさとしになったということです。
稲田の西念寺は、聖人が京にもどった後に、稲田九郎頼聖がその草庵をゆずりうけて開いたものです。

 

市町村 笠間市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P102 〜 P102
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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