茨城の民話Webアーカイブ

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つつじ神

ツツジ ガミ

原文

むかし、一人の旅人が大島地内(現在の勝田市東大島)を通りかかった時のことです。
春先のおだやかな日でしたが、急に空がかきくもったかと思う間もなく大粒の雨が降ってきたのです。そのうち雷をともなった激しい雨風にかわり、あちこちで地をとどろかすような落雷にみまわれはじめました。旅人のまわりにはあいにく民家もなく、逃げ場を失った旅人に雷は容赦なくおそいかかりました。
しばらくして雷雨が通り過ぎると、道端に、雨にぬれ、雷にうたれて横たわる一人の旅人の無残な姿がありました。倒れている旅人を見つけ、あわれんだ村人たちは、近くの民家に運んで手厚く介抱したのですが、そのかいもなく「私は仙台から成田詣りに来た熊吉という者です。年は五十と六歳になります。」と言うと間もなく息をひきとってしまったのです。
親切な村人たちは、熊吉の塚をつくってねんごろに葬り、その上に一本のつつじを植えました。そのつつじの木が大きくなり始めたある時、村で、重い病気にかかった者がおり、いろいろと手をつくしたのですが、いっこうによくならず困りはてておりました。すると、病人の夢の中に熊吉があらわれ、「私の墓に来て手をあわせれば必ず治してみせます。」と言うのです。その通りにすると、病はすっかり良くなり、それ以来熊吉の塚は、つつじ神としてまつられ、病気になやむ村人たちがたくさん訪れるようになりました。この話は、つつじの成長とともに各地に広まり、大株となってさらに厚い信仰をうけたと伝えられています。そして、現在も疫病除けや進学の神様としてにぎわい、お線香の煙が絶えたことがありません。

 

市町村 ひたちなか市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P82 〜 P82
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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