茨城の民話Webアーカイブ

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仏ノ山峠

ホトケノヤマ トウゲ

原文

笠間駅から宇都宮へ向かって八キロメートルほどいった栃木県境に仏ノ山峠があります。
むかし、このあたりは、たいへんさみしいところで、山賊が峠越えの旅人をおそっては殺し、金品をうばっておりました。
この山賊の頭領には、美しい娘がおりました。娘はいつも、父親が山賊であることを恥じ、ずっと悩み、悲しんでおりました。
父親に、人をあやめ、傷つけるようなひどいことはやめてほしいと何度もたのみましたが、聞き入れてはもらえませんでした。
ある晩のこと、またも、旅人からまきあげた金品を誇らしげにながめている父親をみて、娘はひとつの決心をしたのです。
それからしばらくたったある日、山賊たちがいつものようにめぼしい獲物は来ないかと待ちかまえていると、一人の女がやってきました。
笠を深くかぶっていて顔は見えませんが、身なりから金目のものを持っていそうなようすでした。
山賊たちは、女の前に立ちはだかると「おい、命がおしかったら有り金全部おいていけ。」とすごんで見せたのですが、女はそれには動ぜず、要求にもこたえませんでした。
よし、それならと、頭領は刀を引き抜くと、いきなり女に切りつけました。抵抗もなくたおれた女の懐から金をうばおうと、頭領が近づいてみると、そこに血まみれになっているのは、何と自分の娘だったのです。
これには、さすがの山賊も青ざめ、それ以来、ぷっつりと足をあらいました。
そして、これまでの悪行の数々を悔い、自分が手にかけた旅人と娘の霊をなぐさめるために、東の方に朝日堂、西の方に夕日堂を建て、その中で念仏をとなえてくらしたということです。

 

市町村 笠間市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P79 〜 P79
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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