茨城の民話Webアーカイブ

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鍋のつる

ナベ ノ ツル

原文

むかし、入向山(現在の那珂町向山)は、額田千石溜の入江になっていたため、たくさんの野鳥の生息地でした。
江戸時代になって、近くに水戸家の菩提寺、向山常福寺が建てられてからは、このあたりでの猟は固く禁じられるようになりました。特に、冬になると渡ってくる鍋鶴は、いけどりにするとおとがめのある鳥と決められておりました。
ある日のこと、百姓の甚兵衛は、田んぼのあぜをぎこちなく歩いている一羽の鍋鶴をみつけました。近づいてみても飛び立つ気配がありません。
(どうしたんだろう。ぐあいでも悪いのかな?このままでは野良犬にやられてしまうにちがいない。)
心やさしい甚兵衛は、鶴を家へつれて帰ることにしました。ところが、その夜のうちに、鶴はあっけなく死んでしまったのです。
たとえ、病気の鶴を介抱したとはいえ、死なせてしまっては、打ち首になってしまいます。
甚兵衛は、どうしたらよいかわからず、仕事も手につきませんでした。うわさは村中にひろまり、今にも奉行所の耳にも届きそうな勢いで、心配した村人たちは、庄屋の弥兵衛に相談にいきました。弥兵衛は、胆のすわった知恵者で人情の厚い人でした。
そして、しばらく考えた末に、「心配するほどのことではない。甚兵衛のうちの鍋のつるがこわれたので鍛冶屋につくってもらった、鍋のつるを打つのがすんだという話が、いつのまに鍋鶴が死んだといううわさになってしまった。そういうことだ。みんなつまらんうわさは気にせんで、今まで通り仕事に精を出しなさい。」
それから鶴のうわさをする者もなくなりました。弥兵衛から奉行所への働きかけもあり、甚兵衛へのおとがめはありませんでした。甚兵衛は、その後、屋敷内にお鶴大明神という社をたてておまつりしたということです。

 

市町村 那珂市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P71 〜 P71
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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