金色姫
コンジキ ヒメ
原文
むかし、天竺(現在のインド)に、金色姫という美しい王女がおりました。
父の大王はやさしい人だったのですが、二度目の皇后である継母はとてもつめたく、毎日姫につらくあたってばかりいました。
王が留守のある日のこと、皇后は、家来に姫を猛獣のすむ山へすてさせたのです。しかし、姫は運よく助け出され宮殿へもどってきました。次にワシやタカの群れる山に、そして三度目は、離れ小島に置き去りにしたのでしたが、なぜか助け出されて無事にもどってくるのです。それならばと皇后は、とうとう宮殿の庭のすみに深い穴を掘り、姫を生きうめにしてしまいました。ところが今度は、姫の姿が見えず心配した王が、地面からもれている光に気づき、地中から姫を助け出したのです。
姫の行く末を案じた王は、「この国を出て、他で幸せにくらしなさい。」と桑の木でつくった舟に姫を乗せて海へ流してやりました。
舟は、当時は岬であったという筑波山麓の豊浦というところへたどりつき、そこで姫は、長者の権太夫に手あつく介抱されたのですが、長旅の疲れからか、まもなく死んでしまったのです。
次の日のこと権太夫が姫の柩をあらためると、おさめたはずの姫の姿はなく、一匹の白い虫がいるだけでした。さらに不思議なことに突然一人の老人があらわれ、「新鮮な桑の葉を与えて、その虫を大事に育てなさい。」というとフッと消えてしまったのです。筑波の神のお告げか、権太夫はそう思って、毎日桑の葉を与え続けました。しばらくして、虫は桑の葉を食べずに眠りにつき、眠りからさめてはまた桑の葉を食べるということを四度ほどくり返しました。そのようすは、まるで金色姫が継母にいじめられた苦しみを思い出しているかのようでした。やがて虫は口から糸をはき、白いまゆをつくりました。権太夫がそのまゆを練って糸にすると、それはそれは美しい丈夫な糸であったということです。これが日本の絹糸のはじまりで、その時まつられた社が、つくば市の蚕影山神社であるという伝えもあり、養蚕の神様として今でも広く信仰を集めています。
これと同じような話が、神栖町の蚕霊神社と日立市の蚕養神社にも伝えられています
市町村 | つくば市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P70 〜 P70 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |