茨城の民話Webアーカイブ

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護身地蔵

ゴミ ジゾウ

原文

日本各地で内乱が続いた戦国時代のこと、府中の舟塚山付近での戦いに敗れ傷を負った侍が、現在の貝地町あたりまで逃れてきました。傷ついた身体は一歩ごとに重くなり、気力も次第次第にうすれていきました。ところが、敵方の追手がすぐそこまで迫ってきていたのです。
(もはやこれまで)と侍が覚悟をきめたその時でした。突風がおこり、砂ぼこりを舞い上げるとまるで煙幕をはったように追手の目から侍の姿を消してしまったのです。
(これは天の助けにちがいない。)必死でその場から逃れようと侍が顔を上げると、いつの間にか目の前に一人の老婆があらわれ、稲くずと稲とをよりわける仕事をしていました。
「そこのごみの山の中へかくれなさい。」老婆はそう言うと、稲くずの山を指さしました。
突風が去り、追手がかすんだ目であたりを見まわすと、侍の姿はどこにもなく老婆が一人すわっているだけでした。
「ここに手負いの侍がこなかったか。どうだ。」ときつく問いただしても老婆は「いいえ、誰もきませんでした。」
何度聞いても全く表情を変えず、そうくり返すばかり。さすがの追手もあきらめてひきかえして行きました。
「もう大丈夫だよ。」と声がするので侍がごみの山から出てみると、老婆の姿は消え失せ、どこにも見あたりませんでした。
後にこの話を聞いた村人たちは、老婆は、そこの祠の地蔵さまの化身にちがいないとうわさしました。命を助けられた侍は、何年かたって、その恩に報いたいと祠に石のお地蔵さまを寄進したそうです。
これは、石岡市の貝地町にある「護身地蔵」にまつわる話です。

 

市町村 石岡市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P69 〜 P69
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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