茨城の民話Webアーカイブ

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笠間城の大蛇

カサマ ジョウ ノ ダイジャ

原文

むかし、笠間時朝によって佐白山上に築かれた笠間城は、けわしい山と深い谷に守られた、敵が攻めにくい、国内でも指折りの山城でした。
江戸時代のはじめ、浅野氏が領主として、笠間をおさめていたころのことです。
お城の一番上にある天守閣(=物見やぐら)あたりに、大蛇がでては悪さをしているといううわさがたちました。
「その大蛇は、小山ほどもあって子牛などいとも簡単に丸飲みにしてしまうそうだ。」と、城中でもその話でもちきりでした。
そのうち、「大蛇の話が本当ならわしが退治してみせよう。」と、軽部弥次郎という勇敢な侍が名乗りでたのです。殿様のゆるしをえた弥次郎は、鉄砲で射とめてやろうと夜も寝ないで天守閣近くで待ちかまえておりました。
ある日のこと、すーっと天守閣が陰ったかと思うと、弥次郎の前にとうとう大蛇が姿をあらわしました。塀の上へもたげた頭は馬の首三つ分もあり、全身の大きさなどまるで見当もつかないほどでした。おそろしく大きな口から炎のような長い舌を出し、ギョロリと弥次郎をにらみ、今にもおそいかからんばかりでした。
弥次郎は、ひるむことなく、さっと鉄砲をかまえると、大蛇の頭めがけてズドンと一発玉をうちこみました。次の瞬間、大蛇はどどっと地ひびきをたててくずれおちました。
「してやったり。」弥次郎がかけつけてみると、どこへ消えたのか大蛇の姿はまったく見あたらないのです。それ以来、大蛇をみたという人もなく、何年かたち、井上氏が笠間の領主となってからのことです。天守閣の一部がくずれ、その修理のため土台を掘ると、巨大な骨がゴロゴロでてきたのです。人々は、これは弥次郎が射とめたというあの大蛇の骨にちがいないと口口にうわさしたということです。

 

市町村 笠間市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P68 〜 P68
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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