茨城の民話Webアーカイブ

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武田の琴姫

タケダ ノ コトヒメ

原文

むかし、武田(現在の勝田市武田)のお城に、琴姫という大そう美しい姫君がおりました。
この姫は、武芸を好み、とくに馬術にかけては、右に出るものがいないほどにたけていました。
ある日、姫を日頃からねたましく思っていた家来が、荒馬を良馬だからといつわって姫にすすめました。姫は喜んで、早速遠乗りにでかけました。
さすがに、はじめはうまく乗っていましたが、そのうち馬が手に負えないほど暴れだし、あっという間に地面に投げ出され、気を失ってしまいました。
気がつくと、武田池のほとりのあばらやに寝かされておりました。近くの若者に助けられたのです。かゆをもらい、薬で手当をうけ、起きられるまで五日間ほど世話になりました。厚く礼をのべた後、身分をあかすと、若者はおどろき、
「私は五郎と申します。代々、武田家におつかえしてまいりましたが、わけあって、ここを仮の住まいとしております。殿のお役に立てる時がきたら、必ず馳せ参じます。」と約束しました。
その年の夏、那珂川が氾濫し、大洪水となりました。姫は、五郎の安否を気遣い、武田池のほとりまでいってみると、五郎の家は流され、あとかたもありませんでした。
姫は、五郎の死を悲しみ、池のほとりに小さな社を建てて霊をなぐさめました。
ところがある晩、姫の枕元に五郎があらわれ、「私は死んではおりません。でも、武田池の社だけは、毎年祭りをやってください。」といい残して消えてしまいました。
時は戦国、武田はたびたび戦にまきこまれ、お祭りなどするどころではありませんでした。
そのたたりか、何年かたったある年、大雨洪水に流り病と悪いことばかりが続きました。姫は、五郎のことばを思い出し、盛大なお祭りを催しました。すると、次の年から、災害はピタリとおさまったということです。

 

市町村 ひたちなか市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P62 〜 P62
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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