茨城の民話Webアーカイブ

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喜八阿弥陀

キハチ アミダ

原文

むかし、与沢(現在の東茨城郡小川町与沢)というところに、長島喜八という人がおり、妻と二人の子供と幸せにくらしておりました。
ところがある日、喜八の女房は、難産のため、あっけなく死んでしまったのです。まだ乳ばなれしない子供たちは、母親恋しさに、毎日毎日泣き続けておりました。喜八は、なれない子供の世話に追われ、悲しんでいるひまもないほどでした。死んだ女房も、子供のことが心配で成仏できなかったのか、毎晩、喜八の枕元にあらわれては、「子供たちをよろしくお願いします。」としきりに訴えるのでした。これには喜八も困りはて、お寺にたのんで供養してもらったのですが、それでも毎晩、女房の亡霊はあらわれ続けました。ちょうどその頃、親鸞聖人が。鹿島神宮に向かう途中に与沢を通り、この話を耳にしました。
親鸞聖人は、喜八の女房の墓に、お経をかいた玉石一個を埋め、家のふすまには阿弥陀如来、聖徳太子、善童太子の絵を描いて女房の霊をなぐさめました。
その時、長島家では、阿弥陀堂を建てて親鸞聖人への感謝の気持をあらわしたということです。
これが、喜八阿弥陀で、現在も与沢に残っています。

 

市町村 小美玉市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P61 〜 P61
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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