茨城の民話Webアーカイブ

ヘッダーライン
あいうえお順検索
くわしい検索
ライン

検索結果にもどる

静帰りの里

シズカ ガエリ ノ サト

原文

今から、八〇〇年程前、源義経は、兄頼朝を助け、一ノ谷、屋島の戦いで次々とてがらをたて、ついに壇の浦で平家を滅ぼしました。
ところが、その功績にもかかわらず、その後義経と頼朝との仲はどんどん悪くなるばかり。そしてついに頼朝は、義経の力をおそれるあまり、彼を討とうとしたのです。
義経は、側室の静御前を残し、奥州の藤原氏を頼って平泉へと逃れていきました。
※奥州とは、現在の青森・岩手・宮城・福島
しばらくのち京で、悲しみにくれる静御前の耳に義経が無事奥州入りしたという話が入りました。
静御前は、義経に会いたい、無事な姿を一目見たいと思うと矢もたてもたまらず、侍女一人をつれて奥州へ向かいました。
ところが、下辺見(現在の猿島郡総和町大字下辺見)のとある小川の近くまできた時、義経が平泉で死んだといううわさを
聞き、小川の橋の上で、このまま奥州へいこうか、京へもどろうかとたいへん思案にくれました。
結局、義経のおじのいる栗橋の高柳寺をめざしますが、途中道に迷い、柳の枝を結んで道しるべとして引き返したといわれています。
今でもこの時の橋が「思案橋」、柳の木が「静結びの柳」、そしてこのあたりは「静帰りの里」といわれています。

 

市町村 古河市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P54 〜 P54
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

このおはなしが伝えられた地域

資料スキャンデータダウンロード