茨城の民話Webアーカイブ

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夕陽を呼びもどした長者

ユウヒ オ ヨビモドシタ チョウジャ

原文

むかし、諸井(現在の玉造町甲・諸井地区)の長者は、毎年帝(天皇)に美しい絹織物一駄を献上するならわしになっておりました。
※一駄とは、馬一頭に背負わせる目方で三十六貫(約一三五キログラム)のこと
毎年、織り上がった絹織物は、馬につけて霜月(陰暦の十一月)一日の朝六時に都に向けて出発することになっておりました。
また、帝に献上する織物は、日の出から日の入りの間に織り上げ、決して夜織ってはいけないとされておりました。
ところがある年のこと、どうしても最後の一反が日暮れまでに出来上がりそうにないのです。織姫は困ってしまい、長者の屋敷にかけこみました。
「長者さま、申し訳ありません。どうしても日暮れまでに最後の一反が織り上がりそうにありません。このままでは帝に献上できないばかりか長者さまにもご迷惑がかかります。私は死んでおわびをいたします。」と泣きくずれました。
長者は織姫の話を聞いてしばらく考えた末、「命をそまつにするものではない。私が命にかえてもお日さまを呼びもどしてみせよう。」そう言うと、帝からいただいた金の扇をとり出してさっと開き、沈もうとする夕陽に向かって呼びかけました。
「どうかおもどり下され。帝に献上する機がまだ織り上がりません。もどってきて下され。お願いいたします。」と夕陽をまねくと、不思議なことに、沈みかけた夕陽が空高く昇っていったのです。おかげで、最後の一反を無事織り上げ、都へ運び出すことができたということです。玉造駅から東南に一キロメートル、現在、玉造小学校のある所が諸井長者屋敷跡といわれています。

 

市町村 行方市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P53 〜 P53
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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