茨城の民話Webアーカイブ

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猿に助けられた武将たち

サル ニ タスケラレタ ブショウ タチ

原文

今から八〇〇年程前、源頼朝が伊豆で兵をあげた時、茨城北部の豪族佐竹氏は、源氏でありながら平家への恩もあり、頼朝軍に加わりませんでした。
これが頼朝の怒りをかい、「金砂山合戦」といわれる戦いになりました。この戦いで、佐竹義政は討たれ、弟の秀義は金砂城(現在の久慈郡金砂郷村上宮河内)にたてこもりました。けわしい絶壁を利用した金砂城もとうとう落城し、秀義は家来をつれて命からがら山深い花園山に逃れ、猿ヶ城の岩穴にかくれておりました。
その時、岩穴の前に、どこからかたくさんの猿があらわれました。
秀義たちが不思議に思い近づいてみると、入口に木の実などの食べ物がおいてあったのです。猿たちは、その後何度も食べ物を運び、秀義たちを助けたということです。
また、花園権現、満願寺をひらいたともいわれている慈覚大師というお坊さんが、石の上にすわり、仏様に三十七日間祈り続けるという修行をした時もやはり、たくさんの猿が食べ物を運んだという話が残っています。
花園神社は、一、二〇〇年程前に、坂上田村麿がつくらせたという歴史の古い神社で、猿は花園神社のお使いといわれております。

 

市町村 北茨城市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P52 〜 P52
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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