茨城の民話Webアーカイブ

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ただでもらった石臼

タダ デ モラッタ イシウス

原文

むかし、崎房村(現在の石下町崎房)に、けちで有名な重左エ門という男がおりました。長いことけちけちとした暮らしを続け、小金もたまり、ふところ具合がよくなってきたので、一度位日光見物をしたいものだと考えるようになりました。
師走のある日、重左エ門は、わらじと弁当を用意すると、もちろんのこと歩いて日光見物にでかけました。
無事、日光東照宮の参拝やら見物をすませての帰り道、重左エ門は、大きな石屋の前で立ちどまり、石臼づくりをながめておりました。
「ほおー、うまいもんだね。なかなかいい石臼だね。」と感心していると、石屋の主人がでてきて、「ありがとうございます。そんなに気にいっていただけたのならさしあげましよう。ただし、家まで休まずに背おって帰れたらの話ですよ。」といいました。
ただでもらえるのなら、と大喜びの重左エ門は、早速石臼を縄でくくり、背おうと家路をめざして歩きだしたのです。
まさか十貫(三十七・五キロ)もある石臼を背おっていくとは思わなかった主人は、呆気にとられて見送りました。
我にかえった石屋の主人は、職人たちをよびつけると、「いいか、あの男が石臼を背中からおろしてちょっとでも休んだらとりかえしてくるんだぞ。」と命じました。
職人たちは、こっそり重左エ門の後をつけましたが、休む様子などありません。それどころか、折りから降り出した雪にもめげずに歩いていく重左エ門に、職人たちは根負けして引きかえしたということです。

 

市町村 常総市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P47 〜 P47
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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