黄門 要石を掘る
コウモン カナメイシ オ ホル
原文
鹿島神宮の奥宮の近くに要石があります。直径四十センチメートルほどの円型の小さな石です。神様が地上に降りた時すわられた石で、根が地下深く通じ、終わる所なく、大地震のもとである鯰を押さえているといわれています。
ある時、徳川光圀が、この話を聞き、本当かどうか掘って確かめようといいだしました。家来たちは神罰をおそれ反対したのですが、光圀は聞き入れませんでした。
さっそく、人夫を集め、一日で五メートルほど掘り下げました。
次の朝、人夫の一人が光圀のもとへきて、昨日掘った穴がきれいに埋めつくされているというのです。怒った光圀は、昨日以上の深さに穴を掘らせた上に、そばに見張り小屋を建て、寝ずの番をさせました。
ところが次の朝も同じでした。光圀は、すぐ現場にかけつけて確かめましたが、誰一人としてうそをついている様子はありません。「埋められるのは、作業をやめるからだ。今日から昼も夜も掘り続けるのじゃ。」光圀の声がかりで、さらに沢山の人夫が集められ、昼夜交替で七日間掘り続けました。
その夜のこと、眠っている光圀の耳に不思議な声が聞こえてきました。「光圀。要石を掘りたい気持はわかるが、物には限度というものがあるぞ。人間、それを忘れると、いつか禍いがふりかかるものだよ…。」光圀はびっくりしてとびおきました。
次の朝、光圀は家来や人夫を集め、「これだけ掘り続けてもビクともしない要石は、間違いなく地中の根に達しているにちがいない。もう穴を掘るのはやめにしよう。」といったそうです。
市町村 | 鹿嶋市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P46 〜 P46 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |