茨城の民話Webアーカイブ

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七日七夜で建てた本堂

ナヌカナナヨ デ タテタ ホンドウ

原文

応永三年(一三九六)、戦火により雨引山の楽法寺は、本堂をはじめあらゆる建物が焼けてしまいました。和尚さんは、お寺の焼け跡に呆然と立ちすくんでおりました。すると、どこからか鬼神があらわれ、「私はこの観音の守り神だ。和尚、何も心配することはない。わたしにまかせなさい。」というのです。そして、夜になると、沢山の鬼たちがあらわれ、焼け跡を片付け、材木や石を運びこみ、七日七夜のうちに本堂を建ててしまったのです。
そして、本堂が出来上がった夜、鬼神たちは、たき火を囲み、太鼓をたたいて踊り、夜の明けぬうちに消えてしまったというのです。村人たちは、この鬼神たちへの感謝をこめ、鬼面をつけ鬼太鼓をたたき、鬼踊りを踊りました。これが毎年四月の第一日曜に雨引観音で行われる「マダラ鬼神祭」のいわれです。この祭りは日本二大鬼神祭の一つといわれています。
もう一つ、雨引山という名の由来は、弘仁一二年(八二一)に日照りが続き、村人たちは困りはて、天彦山のご本尊に雨乞いをしたところ、たちどころに雨が降り出し、七日七夜続いたそうです。それ以来、天彦山が雨引山といわれるようなったのだそうです。

 

市町村 桜川市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P26 〜 P26
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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