茨城の民話Webアーカイブ

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女化の原の白狐

オナバケ ノ ハラ ノ シロギツネ

原文

むかし根本の里(新利根村)に、忠五郎という百姓が年老いた母親と二人で暮しておりました。
ある日、忠五郎が土浦へむしろを売りにいった帰り、狩人に弓矢で狙われている白い狐を見たのです。心優しい忠五郎は、思わず大きな音をたて、狐を逃がしてやりました。
怒ったのは狩人です。忠五郎は売上げのお金を全部渡して、やっとゆるしてもらいました。
家へもどると、旅の途中の男と娘がおりー晩とめてくれというのです。−ところが次の朝、男の姿はありません。お金を全部もって、娘をおいて逃げてしまったのです。娘はしばらく忠五郎の家へおいてもらうことになりました。娘は気だてもよく、機織り・畑仕事とよく働き、誰からも好かれました。そのうち、近所の人が仲人にたち、娘は忠五郎の嫁となり、三人の子供もでき幸せに暮らしておりました。
ある秋の日、一番下の子を抱いて昼寝をしていた母親を、二人の子が見て泣きだしました。
”おっかあがキツネになってしまった。”
母親はいそいで元の姿にもどしたのですが、白い尾が消えません。狐の姿を見られた母親は、まだ眠っている子供の着物に、”みどり子の母はと問わば女化の原に泣く泣くふすと答えよ。”(小さい子に、母親はどこにいったのだと聞かれたら、狐が女に化けた原に泣きながらねていると答えてください。)と歌を書いて結び、ススキの原へ帰っていってしまったということです。
それ以来、その原を女化の原といい、竜ヶ崎の飛地にある女化稲荷は、その狐の霊をまつったものといわれています。

 

市町村 龍ケ崎市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P16 〜 P16
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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