常陸国風土記を訪ねる

飽田の村(あきたのむら)

飽田の村において橘皇后が一方的に海の幸をことごとく得ることになっているのは、『古事記』『日本書記』にあらわれる日本武尊の妃である弟橘媛が投影されている。日本武尊が東征の際に走水の海を渡ろうとしたとき、海の神の祟りで船が進まなくなった。妃が日本武尊の命を救うため海に身を投じたところ、船は進むことができたという。弟橘媛は海の神をなだめることができる特別な関係にあった。それゆえ、橘皇后も海の神との結びつきによりわずかな間に多くの海の幸を手にすることができたと考えられている。

指定の種別 未指定
市町村名 日立市
所在地 日立市相田町
担当課 日立市郷土博物館
電話番号 0294-23-3231
参考URL なし
常陸国風土記の記載内容
多珂郡

其の道前里に、飽田村あり。古老曰へらく、「倭武天皇、東の垂を巡らむとして、此の野に頓宿りたまひき。有る人、奏して曰はく、『野の上に群れたる鹿、無数にして甚多し。其の聳ゆる角は、蘆の枯れたる原の如く、其の吹気を比ふれば、朝霧の立てるに似たり。又、海に鰒魚有り。大きさ八尺ばかりなり。幷せて諸種の珍しき味あれば、遊理□多。』といふ。是に、天皇、野に幸して、橘皇后を遣して海に臨みて漁らしめたまふ。捕獲の利を相競はむとして、山と海との物を別き探りたまふ。此の時に、野の狩は、終日駈り射たれども、一つの宍をだに得たまはず。海の漁は、須臾がほとに才りに採りて、尽に百の味を得たまふ。猟と漁と已に畢りて、御膳を羞め奉る時に、陪従に勅して曰りたまひしく、『今日の遊は、朕と家后と、各、野と海とに就きて、同に祥福(俗の語に「さち」と曰ふ)を争へり。野の物は得ずあれども、海の味は尽に飽き喫ひつ』とのりたまひき。後の代に跡を追ひて、飽田村と名づく」といへり。